私は、私を愛さない
ある意味、誤解を恐れずに書いてみた。
当たり障りのないことを書いてもあまり面白くないだろうし。
少しは面白い記事になっているのだろうか。
自己陶酔について
タイトルに深い意味はないのだ。
非自己愛とかそういうことを言っているのだろう。
ただ何となく思い付いたのでタイトルにしてみた。
今ネットで調べてみたら、自己愛には良い自己愛と悪い自己愛があるみたいなことが書いてあった。
当然、自分が否定しているのは悪い自己愛の方だ。
自己陶酔とかそういうことである。
何でもポジティブに考える人もいるが、それが自己陶酔に繋がると問題があるのではないだろうかということである。
一般的に自己愛は
この界隈の人、つまり精神疾患とかそういう界隈の人のことなのだが、自分を愛した方がいいという人が圧倒的に多いようだ。
ただ、そこに自分はとりあえず違和感を覚えるのだ。
自分から見れば、自己愛はどちらかと言うと否定されるべきもので、その状態はあまり精神的によくない状態である。
あるいは、自己愛という言葉を肯定的に使う人はわりと重い病気の人なのかもしれないとも思うのだ。
どちらかと言えば、自分は一般的な事を言っているのだろう。
この界隈の評価と一般的な評価
この界隈の人は、自分に甘い人が多いようだ。
自分は病気だからとか、他人がそう言っているからとかそういうことなのだろうけど。
ある意味では精神疾患がある人は、時期的にそういう自己愛が必要なのかもしれない。
しかし、そこから社会復帰するとかそういうことを考えると、それは一般的な考え方ではない気がするのだ。
一般的に自分の評価は他人からの評価だ。
自分に陶酔しているような人間は、一般的には評価されないだろう。
一時的な自己愛
これは、あくまで自分の考え方である。
だから、ある意味症状の重い人には読み飛ばしてもらっても構わない。
ただ、一般的な社会では自分に陶酔している暇はないということだ。
ぼんやりしていると、それは何もしていない人だということになるだけだろう。
あるいは精神疾患を持つ人は、その治療として一時的に自己愛を持つ必要があるということなのだろうか。
しかし、あくまでそれは一時的なものだろう。
精神疾患があり、休養しながら治療している人には必要なものだ、ということになるのだろう。
治療への違和感
あまりこういうことを書くと批判されたりもするだろうし、それほど書いても意味がないかもしれない。
ただ、こうした自己愛に違和感を覚える人も、精神科で治療を受けている人の中にはいるということだ。
一般的には通用しない自己愛を一時的に持って、しかもそれが一時的にしか通用しないという現実を理解できない人が結構多いのではないだろうか、ということである。
なので、私は私を愛さない、ということになる。
最近では自分は、人の話を聞かない人だと思われている節もあるが。
