私はアニメを観ているのではなく、“人間”を見ていた
私は最初、アニメにそこまで興味がなかった。
子供の頃に観ていた作品はあったものの、自分から積極的にアニメを追うタイプではなかったと思う。
むしろ私が夢中になっていたのは映画だった。
特にホラー映画が好きだった。
人が極限状態に追い込まれた時、どんな感情になるのか。
なぜ人は狂ってしまうのか。
なぜ孤独になってしまうのか。
私はいつの頃からか、そういう“人間の心理”ばかりを見るようになっていた。
最初は単純にストーリーを楽しんでいただけだった。
しかし映画をたくさん観て、考察を書くようになるにつれて、私は少しずつ変わっていった。
気づけば私は、映画の内容そのものよりも、その作品の奥に隠されたメッセージを追うようになっていた。
「このキャラクターはなぜこんな行動をしたのか」
「なぜこの人は孤独なのか」
「なぜ人は壊れてしまうのか」
そういうことばかり考えるようになっていた。
その最大のきっかけが、ジョーカーだった。
主人公アーサーを見た時、私は強い衝撃を受けた。
それは映画を観ているというより、まるで“自分自身”を見ているような感覚だった。
社会に馴染めない孤独。
周囲から理解されない苦しみ。
誰にも気づかれない心の叫び。
笑っているのに、心の中では壊れそうになっている感覚。
私はアーサーに、どこか自分と似たものを感じてしまった。
そこから私は、映画を「作品」として見るよりも、“人間そのもの”を見るようになっていった。
そして私は、映画だけではなく音楽にも惹かれるようになった。
もともとアニメにはそこまで興味がなかったが、なぜかアニソンには強く惹かれていた。
特に印象に残っていたのが、ASCAの私が笑う理由はだった。
この曲を初めて聴いた時、私はただの“明るい応援ソング”とは違うものを感じた。
苦しみや孤独を抱えながら、それでも前を向こうとしている。
そんな感情が、この曲には込められている気がした。
私はそこに強く惹かれた。
今思えば私は、あの頃から「物語」ではなく、その奥にある“人間の感情”を求めていたのかもしれない。
そしてホラー映画が好きだったこともあり、私は同じような空気感を持つホラーアニメを探し始めた。
その時、偶然U-NEXTのおすすめに出てきたのが、カヤちゃんはこわくないだった。
私はそのジャケットを見た瞬間、なぜか強く惹かれた。
「これはただ怖いだけの作品じゃない」
「きっと人間の心理を描いている作品だ」
そんな直感があった。
そして実際に観てみると、私はどんどんアニメ考察にのめり込んでいった。
私はそこで気づいた。
自分が惹かれる作品には、ある共通点があることに。
それは、“弱さを抱えた人間”が描かれていることだった。
孤独。
劣等感。
不器用さ。
周囲とのズレ。
私はそういうキャラクターを見ると、なぜか放っておけなかった。
そしてその理由は、私自身の人生と関係しているのだと思う。
大学に入ってから、私はなかなか気の合う友達ができなかった。
大人になるにつれて、周囲に合わせるよりも、自分のしたいことを優先するようになっていった。
その結果、一人でいる時間がどんどん増えていった。
家と学校の往復。
人と話す機会もほとんどない。
そんな生活を続けるうちに、自分でも少しずつ変わっていった気がする。
久しぶりに会った高校時代の友達から、「あんまり喋らなくなったな」と言われた時はかなりショックだった。
自分では気づいていなかったが、私は少しずつ心を閉ざしていたのかもしれない。
そして様々なストレスが重なり、ある日突然、気分が大きく落ち込むようになった。
学校のカウンセラーに相談し、病院にも通った。
一度は挫折しそうになった。
それでも私は、諦めることができなかった。
指定校推薦で入学したこともあり、親に迷惑をかけたくなかったからだ。
単位を取るために、必死で学校へ通った。
一年留年もした。
正直、苦しかった。
周囲と自分を比べて落ち込むこともあった。
それでも最後は、自分の得意だった韓国語も活かしながら、なんとか卒業することができた。
そして私は思うようになった。
最初から強い人間なんて、きっといない。
人は孤独や挫折を経験しながら、少しずつ強くなっていくのだと思う。
完璧な人間なんていない。
だから私は、アニメの中でも“弱さを抱えたキャラクター”に惹かれるのかもしれない。
人が孤独を恐れるのは、自分に自信がないからだと思う。
私も以前は、食事や休憩時間に周囲に友達がいないと不安だった。
一人でいる姿を見られるのが怖かった。
しかし大学時代、私は韓国語を学び始めた。
気づけば5年間、勉強を続けていた。
そして少しずつ、自分に自信がついていった。
なぜなら韓国語は、“自分にしかないもの”だと思えたからだ。
それまでの私は、自分に自信を持って語れる趣味や特技がなかった。
でも今は違う。
私は韓国語を勉強してきたと、堂々と言える。
そして不思議なことに、自信がつくにつれて歩き方や姿勢まで変わっていった気がする。
だから私は、最初から完璧な主人公よりも、少しずつ変わっていくキャラクターに惹かれる。
弱くてもいい。
孤独でもいい。
不器用でもいい。
それでも苦しみながら前へ進もうとする姿に、私は“人間らしさ”を感じる。
私は今まで、アニメを観ているつもりだった。
しかし本当に見ていたのは、キャラクターの強さではなく、その奥にある“人間の弱さ”だったのかもしれない。
