『トランスミッション 観てはならない結末(原題:Transmission)』を観て——テレビという信号が映し出す、人間の本性と私の傷
先日、映画『Transmission』(邦題:Transmission 観てはならない結末)を観た。最初は正直、「B級ホラーっぽいな」と感じた。深夜のテレビをザッピングする老人の視点で、ニュース、ドキュメンタリー、SF的な宇宙船の映像が唐突に切り替わる構成。散漫で一貫性がないようにさえ思えた。しかし、観進めていくうちに、その印象は完全に覆された。
テレビという「信号」の恐ろしさ
この作品は、ただのホラーではない。テレビ(メディア)という装置そのものを問いかける、メタ的な作品だ。見せる側(作り手・支配側)と、見る側(視聴者・支配される側)。
そこには明確な力関係が存在する。しかも、インタビューシーンで俳優たちが語る監督のエピソードすら、**台本があり、エンタメ性と視聴率を意識した「見せ方」**であることを、私たちは忘れてはならない。映画は繰り返し教えてくれる——
テレビの中の情報だけでは、真実は絶対に掴めない。
自分で直接見聞きし、感じ、疑う力を持たなければ、私たちは「信号」に染められていく。
日常と宇宙、非日常の交錯
作品は老人の日常と、宇宙船という極限の非日常を行き来する。
その往復構造が秀逸だ。まるでテレビ画面という小さな窓から、得体の知れない「何か」がゆっくりとこちら側に侵食してくるような感覚。そして最も印象的だったのが、宇宙船内で仲間が裏切るシーンだ。狭い密閉空間で、命を預け合っていたはずの人間が、突然自分の保身のために牙を剥く。あの瞬間、私は思った。人は、ずる賢い。
人間の本性と、イメージの違い
ホラー映画に出てくるグロテスクな映像や怪物は、すべて人間が作り出したイメージに過ぎない。
そのイメージは、作り手が育った家庭環境、過去の経験、積み重ねてきた痛みによって形作られる。戦争を経験した人は悲しみと復讐心を抱き、人を「恐怖の対象」として見るようになる。
私自身も、学生時代にいじめやからかいに遭った経験がある。それ以来、外出時は常に警戒し、なるべく下を向いて人と目を合わせないようにしている。
人に対する「恐怖のイメージ」が、私の中に深く根付いてしまったからだ。だからこそ、この映画は他人事ではなかった。
同じ信号(映像)を受け取っても、人によって感じ方が全く違うのは当然なのだ。
育ちも、傷も、フィルターも、すべてが異なるから。
犯人を見たときに思うこと
立てこもり事件などの報道を見るとき、私は犯人を擁護するつもりは全くない。
しかし、どうしても考えてしまう。「あの人にも、傷ついた過去があったのではないか」と。人間は怖い。
裏切り、傷つけ、時には他者の命を奪うことさえある。
でもその怖さの根底には、傷ついた過去の連鎖があるのかもしれない——そんな複雑な感情が、私の中には常に存在している。
最後に
『Transmission』は一見すると散漫なB級ホラーにしか見えない。
しかし丁寧に観れば、メディアリテラシー、人間論、自己の傷までを深く抉る作品だと気づく。テレビやSNSの信号を鵜呑みにせず、常に疑問を持つ力。
それを養うことの重要性を、この映画は静かに、しかし確かに警告している。観終わった今、私は改めて思う。人間は、怖い。
でもその怖さを真正面から見つめ続けることこそが、私にできる唯一の抵抗なのかもしれない。
