アメリカ留学 最終編 カルバリーホスピタル
いよいよ私の米国留学も帰国まで2ヶ月を残すこととなりました。最初は研究室に入ったものの、研究には馴染めず、また今でこそ言えますが、ドミトリーでの他国の人との生活は、年齢がすでに30代である私にはなかなか厳しいものでした。正直いじめもありました。私だけ声がかからなかったり無視されることもありました。私にも他人と生活する際の積極性がなかったのも事実です。でも住居費の高いニューヨークのマンハッタン。最後まで他の施設を見学に行っていても、大学のドミトリーを借り続けることができたのはラッキーだったと言えます。感謝しなくてはなりません。
留学生活は、研究室に始まり、コーネル大学市民病院の骨髄移植部門、その後Memerial Sloan Kettering Cancer Centerを経て、ニューヨークの訪問看護と渡り歩いてきました。最後は、ホスピスを見たいと思って、これまたがんセンターの方に頼み込んでご紹介していただきました。今思うと本当にアメリカで生きるべくどんどん図々しくなっていたなと感じます。
幸運にもニューヨーク郊外、ブロンクスにあるカルバリーホスピタルというホスピスの見学を許可されました。ブロンクスはマンハッタンとは違うエリアにあり、庶民の街という感じでした。そしてホスピスのあるそのエリアには穏やかな時間が流れていました。スタッフもバタバタしていませんでした。ヨガ、リラクゼーションのプログラム、牧師さんによる説教、絵を描くプログラム、音楽会などがありました。家族と会うのは自由で、敷地内の散歩も自由、何をどうしても自由でした。入所している患者さんの辛そうな場面が記憶にないのです。そこでの緩和プログラムは、鎮痛薬の使い方、呼吸苦の時の対処など、やはりがんセンターと同じでマニュアル化されていました。そして麻薬を積極的に使用していました。留学していた頃の2000年当時日本では緩和ケアに麻薬を使用することはそれほど多くありませんでした。日本で麻薬が積極的に使用されるようになっていったのはそれから5ー10年してのことです。私はアメリカでの現状をみていたので、このようになるだろうなと予想されましたので、日本での導入は積極的に行ったのを覚えています。
しかしアメリカではフェンタニルという麻薬ががん性疼痛以外の疼痛にも多く使用されるようになり、それに対する弊害・中毒が現在問題となっています。2024年のフェンタニル関連中毒死者数は48,422人にも上ると報道されていました。しかし日本ではそのような状況にはなっていませんのでご安心を。
こうして私の米国での生活は終わりを迎えました。元の病院に戻り、一から血液内科を作るべく奔走することになるのですが・・・
帰る前にちょっとしたエピソードがありました。これは次回紹介します!
