次の研修先を自分で交渉!念願のMemorial Sloan Kettering Cancer Center へ。
2025年11月、私は役職を終え、ようやく時間に余裕ができました。これまでの医者人生を振り返り、あとどれくらい患者さんの前に立てるだろうか、様々な記録を残しておきたいと思い、キーボードに向かっています。これは、30代の頃にアメリカ留学中に書いた記事の一部です。
ここからは、最初の留学先であったコーネル大学血液腫瘍科から、次の研修先を見つけるまでの話です。
<次にいく研修先の交渉>
日本人留学生の多くは、教授の人脈などを頼って研究室に入り、一つのテーマを深く掘り下げて論文を執筆するという道を選びます。しかし、私にはどうしても研究が肌に合いませんでした。かといって、そのまま日本に帰ることもできず、臨床を学ばせていただくために、自ら交渉して骨髄移植の臨床チームに入れていただき、研修を受けさせてもらうことになりました。しかし、アメリカの医師免許を持っているわけではないので、働くことはできません。見学だけを続けているわけにはいかないと考え、他の医療施設を見させてもらうことはできないかと、お願いに回ることにしました。これは、以前の自分と比べて大きく変わった点です。コネもない中で、自分のやりたいことを図々しく訴え、人と交渉を続ける。そうすることで、道が開けてくる場面が何度もありました。
コーネル大学病院は、マンハッタンのアッパーイーストという治安の良い、裕福な人々が住むエリアにありました。病院からドミトリー(寄宿舎)まではほんの数分の距離です。さらに、ドミトリーから2ブロックのところには、アメリカ三大がんセンターの一つであるMemorial Sloan Kettering Cancer Center (MSKCC)がありました。当時はまだ実現が遠いと言われていた、がんの細胞治療の研究が進められていました。私は、アメリカのがんセンターがどれほど進んでいるのかを自分の目で確かめたかったので、MSKCCを紹介していただくように骨髄移植のボスに何度も何度もお願いしました。すると、MSKCCの骨髄移植のリーダーに紹介状を書いてくださったのです。やったー。今思えば、ごり押しだったと思いますが、本当に何度もお願いしたことが、最終的に実を結びました。
<念願のがんセンターへ>
さて、念願のMemorial Sloan Kettering Cancer Center (MSKCC)にやってきた私。ここでは、コーネル大学での骨髄移植と、MSKCCでの骨髄移植がどのように違うのかを比較してみようと考えました。まずは骨髄移植のチームに入れていただきました。MSKCCはがんセンターらしく、プロトコール(抗がん剤のメニュー)の統一やマニュアル(移植マニュアル、各種がん治療の流れ)が徹底的に整備されていました。また、それぞれの担当医は、病棟での診療だけでなく外来も担当し、研究も行うというように、大学病院よりも多忙な印象を受けました。しかし、移植のやり方や治療方針に大きな違いはありませんでした。骨髄移植のチームの後は、悪性リンパ腫のチームにも入れていただきました。そこには、有名な医学雑誌に論文を執筆している先生方が目の前にいました。研修医は少なく、むしろヤングスタッフやベテランの先生方が大勢いました。そして、常に最新の医学雑誌に掲載された論文をもとに議論しているのが印象的でした。海外から来て、何とかこのがんセンターのメンバーに残ろうと努力されている先生は、誰よりもたくさんの論文を読み込み、深く理解していました。これが世界で戦うということなんだな、と思ったことを覚えています。
<治療以外のがんセンターのケアサポート>
また、がんセンターは治療だけでなく、緩和ケア、リハビリ、精神的なサポート、患者会、自宅生活のための様々なサービス提供、患者教育のためのツールが充実していました。当時流行していた瞑想やヨガ、リラクゼーションといったものを、治療や緩和ケアに取り入れようとしていました。また、医師が多忙すぎるため、それをサポートするための看護師や薬剤師が充実していました。患者さんへの治療の詳しい説明、副作用、スケジュール説明は看護師や薬剤師が担当していました。医師は、検査結果から診断名、病気の大まかなこと、ステージ、治療の選択についてを話すのですが、移民の方も多く、知的レベルや育った文化も様々であるため、その場での患者さんの理解度には大きな差が出ます。その差を埋め、言葉を噛み砕いて説明をする役割が非常に重要で、それをNP(ナースプラクティショナー:看護師の資格に加え、さらに専門的な教育を受け、簡単な処方権を持つ看護師)が担っていました。また、今でこそ病棟に薬剤師さんがいて活躍されている病院も多いと思いますが、当時2000年頃から病棟薬剤師が薬の量のチェックや化学療法の内容チェックを行い、安全性を確保していました。今では当たり前になっている日本のシステムが、10年くらい早く始まっているのがアメリカの医療でした。
