危険な関係
■映画「危険な関係」 日比谷 TOHOシネマズシャンテ
【初出:2014年1月22日 旧ブログ(ココログ)より転載】
何か見ようかな…と思った時にチャン・ツィイーのポスターが目に留まって。平日にもかかわらずお客さん多め。原作はフランスの有名小説で何度も映画化されているが個人的には初見だった。
ストーリーはこんな感じ。
「1931年の上海。女性実業家のジユ(セシリア・チャン)は、恋人が年端もいかない少女と婚約したのが許せず、友人でプレイボーイのイーファン(チャン・ドンゴン)に、その少女を寝取るよう持ちかける。しかしイーファンが目を付けたのは貞淑な寡婦フェンユー(チャン・ツィイー)だった。二人はイーファンが彼女との情事を成し遂げれば、ジユはイーファンのものになる、失敗したらイーファンの土地がジユのものになるという、淫らで恐ろしい賭けをする…。」(TOHOシネマズサイトより)
中国映画だが、監督(ホ・ジノ)と主演男優(チャン・ドンゴン)は韓国からの参加。結論からいえば、中国映画&韓国映画の底力を実感させられる非常に見応えのある作品だと思った。題材はずばり「恋愛」。しかも、かわいらしい純愛とかラブロマンスではなく、恋愛大国フランスらしい実にこってりした「恋愛ゲーム」を描いた物語である。
ラクロの原作は18世紀に書かれたものだから、ストーリー自体にはややクラシックなところもある。それに真正面から取り組み、まったく目が離せない映画に仕上げた脚本と演出にまず力を感じる。また、舞台設定の巧みさや美術、衣装の美しさ、配役の絶妙さと素晴らしい演技にも惹きつけられた。しかも、芸術性だけでなくエンターテインメントとしての華やかさも相当なもの。ちょっと宝塚などの世界観と通じるものがあったのではないだろうか。
見終わってやはり心に残るのは「恋愛とはいったい何なのだろう」という思いである。「愛」だと単純に誰かを愛すること、愛しあうことで問題ないのに、それが「恋愛」になるとなぜか「勝ち負け」という感覚がくっついてくる。相手をより好きになってしまったら負け、そうでない方が勝ち…ということで、これは洋の東西を問わず昔からあるようだ。
本作に登場するイーファンもジユもそんな恋愛ゲームの達人である。特にイーファンは金持ちでイケメンのうえ、恋愛テクニックの面でも上級者なのだから、生真面目なフェンユーを落とすのなどさほど難しいことではない。映画の前半から中盤は、そのイーファンが腕によりをかけてフェンユーに迫るプロセスにドキドキさせられる。「悪いやっちゃな~」と思いながらも男の色気あふれるチャン・ドンゴンを見ていると、ここまでやられたら普通落ちるな…と妙に納得してしまうのである。
しかし、物語の後半になると、百戦錬磨のはずのイーファンがまったく無防備なフェンユーの純情に逆に「負けて」しまう。これは恋愛ゲーム上級者としては耐えられないことだ。そのためイーファンは自分の本当の気持ちに嘘をつき、それが破滅への道につながっていく…。
これほど極端でなくても、恋愛に「勝ち負け」の感覚を持ってしまったために、本当なら手に入れられた幸福を逃してしまう人は少なくないのではないだろうか。いや、恋愛だけでなく友人関係や家族関係などでも、人はつい相手よりも優位に立とうとしてしまう。「それっていったい何なんだろう」…エンドロールで流れる曲の歌詞がこの人の業ともいえる感情について歌っている。こってりした恋愛ゲームの顛末を見た後、この歌がとても心に沁みるのである。
本作は中国映画としてリメイクするにあたり、舞台を1931年の上海に設定している。この魔都と呼ばれた街の「色気」もまた作品の大きな魅力といえるだろう。1931年といえば満州事変が起こった年である。あくまで恋愛ものであって歴史映画ではないので、そのことへのはっきりした言及はないが、国が脅かされつつあるという不穏な空気感は、ラクロの原作における貴族階級の没落というデカダンな気分に通じるものがあるはずだ。富裕層の豪奢な邸宅や華麗なファッション、音楽、演劇、芸術…といった背景や小道具も美しければ美しいほど、やがて戦火の中に消えていく運命を予感させる。それらの中で繰り広げられる刹那的な恋愛ゲームもまたその儚さが際立って感じられるのだ。
そして、やはり画面から目が離せない大きな要素は何といってもチャン・ツィイーをはじめとする主要キャストの魅力! もう美男美女ばかりで、純粋に視覚的な楽しみとしても素晴らしい。さっき「宝塚的な世界観と通じる」と書いたのはこのへんも大きいと思う。ストーリーと関係なく登場人物たちだけをうっとりと見ていたいと思う瞬間もあったほど。大人の女のかわいらしさ、可憐さ、素直さなどを凝縮したようなツィイーと、美しい獣のようなしなやかさと強さを備えたセシリア・チャンの対比も見事としかいえない。物語の登場人物に惚れてまうやろ~という経験ができる映画でもある。
(チャン・ドンゴンがオダギリジョーに見える瞬間も…)

