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キャンバス越しの足音

玄関のたたきに転がっている、履き古したVANSのオーセンティック。 色はネイビー。キャンバス地の端が少し白く擦れ、ワッフルソールもだいぶ削れているけれど、私は20年前から、この一足だけは絶やさずに買い替え続けている。
20年前の私たちは、まるでお揃いにするのが義務であるかのように、同じオーセンティックを履いて街を歩いていた。 「一番シンプルで、一番飽きないよね」 彼女が少し細身のジーンズに合わせていた、真っ新なホワイトのオーセンティックが、今の私の網膜にも鮮明に焼き付いている。

いま、私が住んでいる場所から彼女の生活までは、どれほどの距離があるのだろう。 彼女は、二児の母になったと聞いた。 あの日々から20年。私の足元は相変わらずVANSのキャンバスに包まれているけれど、彼女の足元は、きっと劇的に変わったはずだ。
公園を走り回るための機能的なランニングシューズ。 授業参観や仕事で履く、背筋の伸びるようなパンプス。 あるいは、玄関先でさっと突っ掛けるための、実用的なサンダル。
あんなに気に入っていたオーセンティックは、いつしか「紐を結ぶのが面倒だから」「クッションが足りないから」と、クローゼットの奥へ、あるいは記憶の隅へと追いやられてしまったのではないか。

ふと、駅の雑踏の中で、ネイビーのスニーカーを見かけると、私は無意識にその主の横顔を探してしまう。 もし、彼女がいまもオーセンティックを履いていたら。
買い物袋を両手に下げて、子供の手を引きながら。 20年前と同じ、少し内股気味の歩き方で、ワッフルソールをアスファルトに響かせている。 キャンバス地には、いつの間にか付いた泥汚れや、子供がこぼしたジュースの跡があるかもしれない。
彼女がその汚れを拭き取りながら、「これ、昔のあの子とお揃いだったんだよな」なんて、今の夫にも子供にも言えない小さな秘密を、一瞬だけ思い出す。
そんな、日常の中のほんのわずかな「ズレ」として、私たちの記憶が生き続けていたら。それはなんて、贅沢で切ないことだろう。

少女のような軽やかさで歩いていた彼女の姿と、今の私の足元。 私がこのネイビーのVANSを履き続けるのは、彼女への未練というよりは、あの頃の私たちが持っていた「何者でもない自由さ」を、私だけでも手放したくないという、少しばかりの意地なのかもしれない。
彼女が何を履いていようと、どんな道を歩いていようと。 あの日、並んで歩いたオーセンティックの足跡は、確かに20年前の地面に刻まれている。
私は、新しく買い替えたばかりのネイビーの紐をきつく結び直した。 ワッフルソールが地面をしっかりと捉える感触を確かめ、私は今の私が歩くべき、忙しなくも愛おしい日常の中へと踏み出した。

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