見出し画像

ドイツで食べた一口の白米が、哲学を揺るがした ― 西谷啓治と「魔法の舌」が繋ぐ故郷の記憶

この記事で紹介する本はこちらです。
※この記事にはAmazonアフィリエイトリンクが含まれています。

翔平:最近、どこにいても自分の居場所がないような、あるいは世界全体が均質化してしまって、本当の意味での「故郷」が消えてしまったような感覚に陥ることはないかな?

奈美:そうですね。どこへ行っても同じようなチェーン店があり、ネットを開けば世界中の情報が手に入りますけれど、それがかえって、自分という個人の立脚点がどこにあるのかをあやふやにさせている気がします。

翔平:現代の私たちは、ユク・ホイの言葉を借りれば「故郷喪失」の状態を生きているんだ。今日紹介したい彼の著書『ポストヨーロッパ』は、まさにそんな、どこにいても自分の場所がないと感じる私たちのための哲学なんだよ。

奈美:それは、単に物理的な家がないということではなくて、もっと精神的な意味合いなのでしょうか。

翔平:そうだよ。ハイデガーが「故郷喪失がいまや世界の運命となる」と述べたように、現代の経済的・技術的な惑星化(グローバル化)は、あらゆる場所から固有の伝統や局所性を奪い去り、人間を動員可能な「資源」へと変えてしまった。この「故郷がない」という状況こそが、現代の実存の基本条件なんだ。

奈美:世界の運命、ですか。でも、それは仕方のないことだと諦めるしかないのでしょうか。それとも、かつての古い伝統に帰るべきだということ?

翔平:ホイは、単なる「故郷への回帰」を否定している。それは排外主義や民族主義といった「不完全なニヒリズム」に陥る危険があるからね。彼はむしろ、「故郷喪失的立場」を肯定することから始めようと提案しているんだ。

奈美:故郷がないことを肯定する……。それは一体、どういう思考のプロセスを経て可能になるのでしょう。

翔平:それを読み解く鍵の一つとして、彼は「」という非常に身体的な器官に注目している。彼は舌を「魔法の器官」と呼んでいるんだよ。なぜなら、舌は故郷の味を懐かしむと同時に、異郷の言語を話すための器官でもあるからだ。

奈美:舌、ですか。身体の一部が、哲学的な問いに繋がっていくのですね。

翔平:そうなんだ。ホイは京都学派の哲学者、西谷啓治のエピソードを詳しく引いている。西谷は1930年代にドイツのフライブルクでハイデガーに師事していたんだけど、一年以上もドイツ料理ばかりの生活を続けていたある日、日本人留学生の家で一杯の白ご飯をふるまわれたんだ。

奈美:異国での白ご飯……それは、特別な味がしたのでしょうね。

翔平:西谷は、その一口の米に「絶対的な旨さ」を感じて圧倒された。ホイは本文で、西谷の言葉をこう引用している。

「日本といふ土地の特殊な成分が、『日本米』といふ米の特殊な成分にうつり、米食を通して先祖代々の『血』にうつり、その血が私の身体のうちにも流れてゐる。……かの経験は、普段忘れてゐたその事実を、私に想ひ起させたのである」。

奈美:食べ物を通じて、自分の身体が日本の国土や歴史と分かちがたく結びついていることを再発見したのですね。

翔平:その通り。でも、ホイが言いたいのは「だから日本人は日本に帰れ」ということじゃない。この「味覚」という故郷への深い帰属感と、新しい「言語」を習得して世界へと開かれていく発話機能、その両方を備えた「舌」のように、私たちは故郷と世界、伝統とテクノロジーの緊張関係の中に立たなければならないということなんだ。

奈美:その緊張関係の中に留まることが、どうして私たちの「場所」を見つけることに繋がるのですか?

翔平:ここでホイが提唱するのが「思考の個体化」という概念だ。これは、ジルベール・シモンドンの個体化論を応用したもので、単に外から与えられた情報を消費するのではなく、自分自身の歴史や環境、そして直面している両立不可能な矛盾を、自分というシステムの中で解決し、新たな概念を生み出していくプロセスのことなんだ。

奈美:情報の受け売りではなく、自分自身の経験や矛盾から、新しい考え方を立ち上げる、ということでしょうか。

翔平:そうだよ。「思考はそれ自体で個体化することはない。思考は私たち皆一人ひとりの個人を通じて個体化する」と彼は書いている。故郷を失った現代の私たちは、西洋由来のテクノロジーと自分自身のルーツという、一見相容れない二つの資源(リソース)の間に投げ込まれている。この緊張を回避せず、自分という「場所」で新たな思考へと昇華させることこそが、本当の意味での「個体化」なんだ。

奈美:テクノロジーといえば、私たちはもうそれなしでは生きられません。でも、それはヨーロッパの思考そのものではないのですか?

翔平:ハイデガーは、サイバネティクス(情報技術の基礎)によって「哲学は終わった」と言った。哲学が、万物を計算可能な情報として制御する「世界文明」としてのテクノロジーに取って代わられた、というわけだ。しかし、ホイはそこで立ち止まらない。彼は、テクノロジーはもはやヨーロッパだけのものではない、と主張する。

奈美:ヨーロッパだけのものではない、とはどういう意味でしょう。

翔平:ホイは「技術多様性」という言葉を使っている。たとえ現代のテクノロジーがヨーロッパの形而上学から生まれたものだとしても、それを異なる宇宙観、例えばアジアの「無」の思想や道徳的なコスモロジーと交差させることで、全く別の技術のあり方、別の未来を構想できるはずだというんだ。

奈美:つまり、均質な世界文明に飲み込まれるのではなく、それぞれのルーツを活かした「技術の形」を個体化させていく必要があるのですね。

翔平:あぁ。彼はこう述べている。近代の超克とは、近代を否定することではなく、むしろ思考の個体化を促進する制度を創造することによって、あるいはデザインの認識論的基礎に介入してテクノロジーを変革することによって成し遂げられるべきものなんだ。

奈美:自分の場所がないという不安が、単にどこかへ逃避したいという欲求ではなく、新しい世界を作るための緊張感に変わっていくような気がします。

翔平:この本は、単に知識を与えるだけの哲学書じゃない。著者のユク・ホイ自身が、香港、ロンドン、ドイツを渡り歩いてきた「故郷喪失者」として、自身の身体で考え抜いた自伝的哲学でもあるんだ。彼が導き出す「ポストヨーロッパ」の光景、つまりヨーロッパ的な思考を超え出た先にある惑星的な未来が、どんなふうに描かれているのか。それは、この本を手に取る読者自身の「個体化」にかかっているのかもしれない。

いいなと思ったら応援しよう!