『なぜデジタル社会は「持続不可能」なのか』 【書評】 デジタルは地球を救わない:5G、AI、自動運転が加速させる「史上最大の物質化」の真実
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私たちは今、デジタル化の波のただ中に生きています。ペーパーレス化が進み、データは軽やかにクラウドを飛び交い、リモートワークは移動の負荷を減らしました。私たちは皆、デジタル社会こそが、地球温暖化や資源枯渇といった喫緊の環境問題に対する切札であり、持続可能な未来への最もクリーンな道筋だと信じています。
私たちは、この非物質化された世界に飛び込み、物質的な束縛を逃れ自由な世界を軽やかに飛翔した気になっているのではないでしょうか。
しかし、どうして私たちのこの軽やかでスマートなデジタル生活が、裏側でよりいっそう物質化された世界を生み出し、地球規模の環境破壊を加速させているのでしょうか?
ジャーナリスト、ギヨーム・ピトロン氏が世界を巡る徹底的な調査によって暴き出したのは、私たち現代社会が抱える最大のパラドックスです。彼の著書『なぜデジタル社会は「持続不可能」なのか』は、その耳障りのよい「非物質化」という名の幻想に、容赦なく冷や水を浴びせている物語です。
私たちは、私たちが進めるIT革命が資源の負荷を減少させると信じていますが、現実はその逆だと著者は断じます。ITは資源を大量に使うだけでなく、「これまでにない最大の物質化に向かっている」という現実が突きつけられようとしているのです。
物語は、あなたの指先から、最も身近な日常の行為の裏側に広がる巨大なインフラの「暗部」にフォーカスすることで展開していきます。
◆ ヴァーチャルな世界が持つ、想像を絶する重さ
「一見すると1グラムの資源も、一滴の水も使ってないように感じるが、ひとつの『いいね!』がきわめて物質的であることを著者は証明していく」
私たちがSNSで友人の投稿に「いいね!」を一つ送るという、このごく日常的で他愛のない行為。しかし、この瞬間、私たちは「これまでわれわれが思いもしなかった甚大な挑戦」を地球に突きつけています。
この「いいね!」は、目に見えないインフラの王国を起動させます。それは「人類がこれまでに造ったことのないような最も巨大なインフラ」です。あなたの同僚がわずか10メートル離れたところにいても、その信号は、コンクリートとファイバーと鋼鉄で築かれた「王国」を通り、海底や地下に敷設されたケーブルを伝いながら「実際に何千キロもの旅をする」のです。
デジタル化とは、非物質化ではなく、むしろ「形を変えた物質化」です。私たちが「コードレスの世界」に生きていると信じている一方で、世界のデータトラフィックの99%は空中ではなく、地下や海底に敷設されたケーブルを通っているのが現実です。私たちはこれまでにないほどお互いがコードで結ばれているのです。
では、なぜヴァーチャルであるはずのテクノロジーが、これほど資源を浪費するのでしょうか?
それは、私たちが日々使う端末に秘密があります。かつての黒電話がアルミニウムや亜鉛などせいぜい10種類の資源しか使っていなかったのに対し、現在のスマートフォンには金、リチウム、マグネシウムなど、50種以上もの原材料が使われています。私たちはネオジムやインジウムといった希少資源を、ごく微量ながら毎日持ち歩いている計算になるのです。
そして、この物質性の象徴とも言えるのが、電子機器の頭脳、ICチップの製造プロセスです。ドイツのヴッパータール研究所が開発した物質集約度(MIPS)の計算によると、この小さなチップの製造にかかる資源量は驚異的です。
「最高記録を誇るのはICチップだ。2グラムの集積回路には32キロの資源が必要で、その割合はなんと1万6,000倍にもなる」
このICチップが組み込まれたスマートフォン(MIPSは1,200倍)やパソコンといった、自称「非物質化」のテクノロジーこそが、「これまでにない最大の物質化に向かっている」という結論を突きつけます。
◉ 無色無臭の「デジタル汚染」が地球を蝕む
デジタル社会がもたらす環境負荷は、その目に見えなさゆえに、「知覚できないものは理解できない」という状況を生み出しています。この「デジタル汚染」は、工場から排出される黒い煙のような肉眼で見えるものではなく、無色無臭で進行しているのです。
この隠された汚染の規模は想像を絶します。
デジタル産業が消費する水、原材料、エネルギーは、フランスやイギリスなどひとつの国全体の消費量の3倍にも達しています。
最も深刻なのは、膨大な電力消費です。情報通信技術(ICT)は、現在、世界の電力の10パーセントを消費しており、これは「原子炉100基分の電力生産量に相当する」莫大な量です。もしデジタル分野を一つの国と見なせば、電気消費で世界第3位に位置づけられます。温室効果ガスの排出量も世界の4パーセントを占めています。
しかも、この消費量は年々加速しています。電力消費は年率5%から7%で増加し、2025年には世界の電力消費量の20パーセントを占めるだろうと予想されています。
著者は、デジタル化を推進する側が「グリーンIT」として環境保護の利益を強調する姿勢に警鐘を鳴らします。
「デジタル分野がひとつの国だと仮定すると、その国は中国とアメリカに次いで電気消費で世界第3位になる。しかも、今日、電力の35パーセントは石炭から生産されている」
結論として、「デジタル汚染はエコロジー転換を危険に陥れ、今後30年間の最大の課題のひとつになるだろう」と断言されます。
◆ 効率の罠:ブーメラン効果と「瞬間」の論理
デジタル技術は、常に効率化とスピードを追求してきました。しかし、この技術的進歩こそが、環境負荷を増大させるという、皮肉なパラドックスを生んでいます。
イギリスの経済学者ウィリアム・スタンレー・ジェヴォンズが1865年に蒸気機関車で発見した「リバウンド効果」(ブーメラン効果)は、デジタル社会にも当てはまります。技術効率が向上しても、それによって価格や利便性が向上し、使用量が増大すれば、「期待された効果とまったく反対の結果になるのだ」。
例えば、5Gは4Gよりも「10倍エネルギー効率がよい」と喧伝されていますが、この技術は「人々のインターネットとデータの消費を爆発的に増加させる」ために商品化されています。結果として、期待されたエネルギー節約分は「使用増加によって生じるエネルギー消費増を埋め合わせることは決してできない」のです。
この無限の消費増を駆動させているのは、私たちの「瞬間」の論理への移行です。
「われわれは『現在』の論理から『瞬間』の論理に移行したのだ」
ウェブサイトが0.8秒で開かなければ、利用者は別のモニターを見てしまう。この「即時性」という名の暴君は、企業にインフラの「超可用性」を求め、データセンターの巨大な電力浪費を引き起こしています。
この結果、クラウドサービス産業は「幽霊データセンター」で満ちており、設備の30%は「電源は入っているが、待ちの状態で、何もしていない」という、途方もない電力の浪費を招いています。
エンジニアは分析します。
「環境コストが高くなるのは、すべてに、いつでも、すぐにアクセスできることから来ている」
◉ スマートな都市と肥満化した車が描く白昼夢
この「より速く、より多く」の論理は、未来の都市計画や自動車産業にも深く浸透しています。
アラブ首長国連邦のマスダール・シティのような「スマートシティ」は、「最も低い環境負荷で、最も高い生活の質」を約束する「白昼夢」だとされます。
マスダール・シティでは、最適化された電力供給システム(スマートグリッド)をはじめ、「何百万個のデジタル機器により持続可能な都市づくりを推し進めている」と宣伝されます。しかし、このスマートシティの真の境界線を「テクノロジーの製造地域にまで拡大して分析すると」、環境負荷の低減効果は甚だ疑問となり、「全体としての環境負荷を現在、悪化させているようだ」と著者は警鐘を鳴らします。局地的な効率化は、グローバルな物質化という名の悪魔的な代償を伴うのです。
さらに、未来の移動手段とされる「自動運転車」も、この矛盾の象徴です。
「コネクテッドカーのソフトウェアはなんと1億行ものソースコードがあるという」
これは、巨大なインフラを必要とした「ハッブル宇宙望遠鏡50台分に相当するほどの"肥満"ぶり」です。
自動運転車が現実のものとなれば、周囲を検知するセンサーや超高画質カメラのために、「最大で毎秒1ギガオクテットのデータを作るようになる」とされます。そして「100万台の自動運転車はウェブサイトにアクセスする世界の総人口のデータに匹敵する」ほどの膨大なデータ量を生成します。
自動運転車はずっと多くの電力を消費するだけでなく、そのデータを伝送・保存・処理するインフラによって、走行1キロメートル当たりの二酸化炭素排出量は間接的に、自動車の平均排出量の20パーセント増につながるのです。
◉ デジタル汚染の複合的な真実と私たちの責任
このデジタル化の拡大は、単なる環境負荷に留まりません。著者は、デジタル汚染が「知的・社会・環境」の3つの形で同時に進行し、それらは「相互依存しており、別々に取り組むことはできない」と指摘します。
私たちの注意を惹きつけ、ドーパミンを生じさせてアプリへの依存を促す「カプトロジー」という手法。この知的・社会的汚染が、私たちに「画面に費やす時間の増加、より多く作られるデータ…そして消費エネルギーの増加」という報酬を与え、結果的に環境汚染を引き起こしているのです。
そして、究極のデジタル化の形態として、「マシンのためのインターネット」の到来が待っています。5Gは「人間が介入することなく、お互いにしゃべれるマシンの数が増える」世界を実現し、データ生成の天井は際限がなくなります。
このロボットやAIによるデジタル活動は、「人間が引き起こしたデジタル汚染の総量をおそらく上回る」と断言されています。例えば、データ量の大きな人工知能(AI)一つを維持することは、「自動車5台の全ライフサイクルの二酸化炭素排出に相当する」と試算されています。
このまま、テクノロジーの進化が環境への負荷を顧みず進むなら、私たちは地球に優しいが人間に優しくない、環境保護の名の下に私たち自身の自由を制限するような、強力なAI「グリーン・リヴァイアサン」の決定に服従することになるかもしれません。
著者は私たちに訴えかけます。
「デジタル化の経済的、社会的、精神的影響と、環境保護面の役割を混同してはいけない」
「気候や生物多様性を守るためのすばらしいイニシアティブの誕生を促進したとしても、インターネットは地球を救うために考え出されたのではない。地球上の生命の回復力とデジタルツールのパフォーマンスを関連づける主張は、私にとっては神話であり、おとぎ話である」
情報通信技術(ICT)は、「実際に世界をよくしたが、環境面の影響から言えば最悪の到来物だ」という、冷徹な真実を受け入れる必要があります。
◉ 軽やかに飛翔する幻想からの脱却
私たちが性急に、あらゆる物質的束縛から自由な世界に入ろうとするとき、必ず「非物質化の世界は常にいっそう物質化された世界だという」明白な事実が突きつけられます。
私たちが向き合っているデジタルの限界は、技術的なキャパシティの問題ではなく、むしろ私たちの倫理や政治的な選択の問題です。無意識に送る電子メール1通が、「電球を1時間使う時の二酸化炭素排出量に匹敵する」現実を知りながら、この「デジタル肥満」に加担し続けるのか。それとも、私たち自身の行動を変えるのか。
著者は、デジタルというツールは「われわれ以上でもわれわれ以下でもない」と結論づけます。私たちが食べ物やエネルギーを無駄遣いするのと同じように、デジタルもその傾向を強めるでしょう。私たちが国境を超えて寛大であろうとするなら、デジタルもその触媒として働くでしょう。
この本が突きつけるのは、私たち自身の日常のイニシアティブの総体が、未来の世代に残す遺産を決定するという、計り知れない責任です。
『なぜデジタル社会は「持続不可能」なのか』は、デジタルがもたらす「暗黒物質」の地理、経済、地政学を巡る、スリリングなノンフィクションであり、私たちに「あなたがこの世界で見たいと願う変化にあなた自身がなりなさい」という強い問いかけを熟考するよう導きます。
次にあなたがスマートフォンを手にし、何らかの操作を行うとき、その「軽やかさ」の裏側で、地球の資源が削られ、エネルギーが浪費され、巨大な権力が築かれている、その重い物語の全体像を、あなたは考えずにはいられなくなるでしょう。この本は、その物語の始まりを告げる警鐘なのです。
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