BOUNDARY SPANNER|橋をかける人 #00 筆者より『はじめに』
本書に登場する人物や出来事は、すべて架空のものです。
ただ、その背景には、私が実務や調査、研究を通して見てきた、日中のビジネスの現場の現実が息づいています。特定の誰かや、どこか一つの組織を描くためではなく、なぜ同じ言葉を使っているはずなのに、人はすれ違ってしまうのか。その見えにくい構造を、物語として描いてみたいと思いました。
仕事の場では、ときどき不思議なことが起こります。
たしかに会話は成立している。言葉も通じている。相手も頷いている。けれど、気がつくと話がずれている。仕事が思った通りに進んでいない。そんな経験をしたことのある人は、きっと少なくないはずです。
「やってみます」
「確認しておきます」
「問題ありません」
どれも、仕事の現場ではよく聞く言葉です。
それなのに、なぜこうした言葉が、ときに誤解や摩擦を生み、信頼の揺らぎにつながってしまうのでしょうか。
それは、単純に語学の問題ではありません。
同じ言葉の下に、それぞれが違う前提を置いているからです。何を当然だと思っているのか。どこまで共有できていると感じているのか。何を先に守るべきだと考えるのか。その違いが、言葉に少しずつずれた意味を与え、やがて仕事の流れそのものを変えていきます。
この物語の主人公・李佳は、在中国日本企業で働く中国人社員です。
最初から何でも分かる人でもなければ、異文化のあいだを軽やかに渡っていける人でもありません。むしろ、迷い、戸惑い、失敗しながら、少しずつ自分の立つ場所を見つけていく人です。
一方、日本から赴任してきた佐藤は、誠実で責任感のある駐在員です。けれど、その誠実さゆえに、自分が当然だと思っている前提を疑わず、現地とのあいだに小さなずれを生んでしまうことがあります。
舞台は、上海です。
変化の速いこの街で、日本企業と中国人社員が日々同じ仕事に向き合い、同じ会議室に座り、同じ言葉を交わしながら、それでも少しずつ違う景色を見ています。
この物語が描こうとしているのは、文化の違いを分かりやすく並べることではありません。そうではなく、表面上は通じているように見えるのに、なぜか仕事がずれていく、その静かで深いすれ違いです。
そしてもう一つ、この物語には大きな問いがあります。
日中のあいだに横たわる境界を越え、橋をかけるのは誰なのか。
それは日本人なのでしょうか。
それとも、現地で働く人なのでしょうか。
その答えは、きっと一つではありません。けれど、李佳の成長の中に、その問いに向き合うための一つのかたちが見えてくるはずです。
もしあなたが、
なぜうまくいかないのか分からないまま、会議を終えたことがあるなら。
同じことを言っているはずなのに、相手には別の意味で届いていた経験があるなら。
あるいは、自分が間に立って、どちらの言い分も分かるのに、どう動けばいいのか分からなくなったことがあるなら。
この物語は、きっとあなたの働く場所にも、静かにつながっています。
本書が、異なる前提を持つ人たちが、どうすれば互いを理解し、どうすれば仕事を前へ進めていけるのかを考えるための、小さな手がかりになればうれしく思います。
続きは、下方の<次の記事>からお進みください。
