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BOUNDARY SPANNER|橋をかける人 #04 画面越しの距離

東京の朝は、上海よりも輪郭がはっきりしている、と山本宗介は思っていた。

駅からオフィスまでの道のりも、会議の始まる時刻も、誰が何を判断するのかという役割の線引きも、この街では比較的明瞭である。もちろん、実際の仕事がそこまで単純であるはずはない。けれど少なくとも、「何が整理されていて、何がまだ整理されていないのか」は見えやすい。

山本は、長くそういう環境の中で働いてきた。だからこそ、判断の速度を落とさないことを、自分の仕事の一部だと考えていた。

本社の会議室に入ると、すでに何人かのメンバーが資料を開いていた。

新規案件の進捗確認と、上海支社との認識合わせ。どちらも、山本にとって珍しい話ではなかった。むしろ、こうした会議は日々の業務の一部であり、特別な緊張を伴うものではない。

数字を確認し、論点を整理し、判断すべきことをその場で決める。必要があれば持ち帰る。けれど、その場合でも、何を保留し、何を先に進めるのかは明確にしておく。

それが本社の仕事だった。

山本は、会議の開始前に資料をざっと見直した。

日本側で作成した新しい業務フローを、中国側の現場にどう落とし込むかという議題である。論点そのものは理解しやすい。日本側が重視しているのは、処理のばらつきを減らし、責任の所在を可視化することだ。

属人的な判断を減らし、例外処理のたびに現場が迷わなくて済むようにする。その方向性自体は間違っていない。日本本社としては、むしろ当然の発想でもある。

問題は、それがそのまま現地で動くかどうかだった。

この点について、山本は過去に上海で数年働いた経験がある。日本側で「整っている」と見えるものが、現地では「重すぎる、仕事が滞る」と受け取られることを知っていた。

承認ステップを一つ増やすだけで、現場の速度が目に見えて落ちることがある。日本では統制と見なされる手順が、中国では責任回避の手続きに見えてしまうこともある。

だからこそ、本社側の案をそのまま導入できるとは、最初から考えていなかった。

ただし、それでもなお、本社が求めるものはある。

何が動かず、どこを変えれば動くのか。
その整理と、代案の提示である。

山本にとって重要なのは、その二つだった。実務の現実に基づいた抵抗は必要だ。だが、抵抗だけでは本社の判断材料にならない。

問題の指摘と同時に、別の設計を持ってくること。そうでなければ、現地の主張は「やりたくない理由」として処理されやすい。

その構造を、山本はよく知っていた。

会議が始まると、上海側の画面に李佳たちの姿が映った。

李佳は落ち着いた様子で資料をめくり、佐藤は彼女のすぐ横で説明の流れを支えている。

佐藤は誠実な人間だと、山本は思っていた。人を見下さず、現場に任せようとする姿勢もある。だが同時に、その「任せる」という言葉の中に、どの程度までの裁量を含めているのかを、自分でも明確にしていない場面があることを、山本は薄々感じていた。

任せることと、判断を委ねることは同じではない。

だが、日本のビジネスの現場では、その二つがしばしば丁寧に分けられないまま進んでしまう。

資料の説明が一通り終わったあと、山本はフロー図の一箇所を見ながら尋ねた。

「この対応ですが、来週までにできるか返事いただけますか」

聞きたいことは単純だった。

現地で動かせるのかどうか。
難しいなら、どこが難しいのか。

その判断の入り口が欲しかった。

画面の向こうで、李佳が一瞬だけ考えた。

ほんのわずかな間だった。けれど、山本にはその迷いが見えた。

できるか、できないか。
それとも、できるともできないとも言い切れないのか。

そういう逡巡の気配は、会議の中では案外よく見える。問題は、その迷いをその場でどう言葉にするかである。

「はい、やってみます」

李佳はそう答えた。

山本は、その返答を聞いた瞬間に、二つの理解を並べていた。

一つは、日本側の文脈での理解である。
「では、その方向で進められる」と読める。

もう一つは、現地側の文脈を踏まえた理解である。
「すぐには断れない。だが、まだ条件は整っていない」という含みがある可能性も高い。

会議の場では、しばしばこの二つが同時に存在する。

山本は、そのどちらを採るべきかを一瞬考えた。

ここで「やってみます、とはどのレベルまでを想定していますか」と聞き返すこともできた。むしろ、それが最も正確な対応だったかもしれない。

しかし、その問いを会議の場で投げると、別の問題が生じる。

李佳の発言をその場で掘り下げることは、彼女の返答が不十分だったことを、公の場で示すことにもなる。現地のメンバーの前でそれを行えば、その後の議論全体が守りの姿勢に入る可能性が高い。

日本側から見れば確認にすぎなくても、中国側から見れば、面前で発言の妥当性を問われたことになる。

山本は、そうした場の温度差を経験として知っていた。

だからこそ、あの場では深掘りしなかった。

佐藤が横にいる以上、会議の外で補足が入る余地もあるだろう。現地側が資料を作り始めれば、どの理解で動いているのかは数日中に自然と見えてくる。ずれがあるなら、その時点で調整すればよい。

そう判断したのである。

会議が終わったあと、山本は会議室に残っていた若手社員に、軽く尋ねてみた。

「さっきの中国側の返事、どう見えましたか」

若手は少し考えてから答えた。

「前向きにやるという意味だと思いました」

山本は内心で、やはりそうなるか、と思った。

日本側であれば、あの返答はそのように受け取るのが自然である。だからこそ、この種のずれは厄介なのだ。

誰も悪意を持っていない。
言葉も通じている。
それでも、期待の置き方だけがずれる。

次の日の夕刻、別件の打ち合わせを終えて席に戻ると、佐藤から共有資料が届いていた。件名を見る限り、上海側が作成した調整案らしい。

山本はファイルを開き、数ページ目をめくったところで目を止めた。

想定していたより、ずっと具体的だった。

承認フローの問題点の指摘だけではなく、中国側の代替案、例外処理の条件、現場の負荷見込みまで入っている。内容としては悪くない。むしろ、現地の実務をよく踏まえていた。

だが同時に、「昨日の今日の短時間でここまで作ったのか」という感覚もあった。

佐藤が最初に見たかったのは、おそらく方向性の確認であり、完成に近い代案ではなかったはずだ。

つまり、やはりずれている。

ただし、そのずれ方は単純ではない。

李佳は怠けていたのではない。むしろ、責任を持ってやりすぎたのだ。

任された仕事を途中で返すのではなく、最後まで考えて形にしてから出す。それが誠実さだと判断したのだろう。その感覚は理解できるし、ある意味では正しい。

だが、日本側の進め方では、完成度よりも途中の認識合わせが優先される場面がある。そこが噛み合っていない。

山本は椅子に深く腰掛け、しばらく黙っていた。

こういうときに「いや、最初にそこまで求めていなかった」とだけ言ってしまえば、現地側には「丁寧にやったこと」が否定されたように響く。

一方で、そのまま受け取れば、日本側が欲しかったはずの早い段階でのすり合わせは失われる。

では、何が必要なのか。

おそらく、誰かがこのずれを、仕事の進め方の違いとして言語化することだ。

言葉の意味ではなく、期待の置き方の違いとして説明しなければならない。

佐藤が自力でそこに気づければ最もよい。だが、いまの段階では、彼はまだ「整っている仕事の流れ」を前提に考えている。李佳もまた、現場を理解しているが、日本側が途中共有に置いている意味までは完全には掴みきれていない。

そうなると、間に立てる人間は限られていた。

山本の頭に、一人の女性の顔が浮かんだ。趙美雅その人だ。

彼女なら、この種のずれを単なる感覚論で終わらせず、実務の言葉として整理できるだろう。しかも、佐藤にも李佳にも、それぞれの顔を立てたまま伝えられる。

山本は、携帯電話の画面に目をやった。

趙美雅に連絡を入れるときだけ、なぜかいつも言葉を一つ多く選んでしまう。業務連絡であれば、短く済ませればいい。実際、他の相手にはそうしている。

けれど彼女にだけは、用件だけを投げることが少し乱暴に思えた。

それが信頼なのか、遠慮なのか。
あるいは、もう少し別の感情なのか。

山本はそこまでは考えないことにした。

短く、しかし少しだけ丁寧にメッセージを打つ。

「少し時間があるときに、佐藤さんと話してもらえませんか。上海側との進め方で、たぶん小さいずれが出ています。あなたなら、うまく言葉にできると思います」

送信ボタンを押す前に、山本は一度だけ文面を読み返した。

「あなたなら」という言葉が、少し個人的に見える気がした。削ろうかと思ったが、結局そのまま残した。

それは事実だったからだ。

送信後、山本は窓の外に目を向けた。

東京の空は、上海よりも乾いて見える。だが、乾いているから見えるものがある一方で、見えなくなるものもある。

山本は、自分が本社側にいるいま、その見えなくなる部分をどう補うかが仕事なのだと理解していた。

現地の事情を知っていることと、現地の前提で考えられることは違う。
本社の論理を理解していることと、それをそのまま押しつけないこともまた違う。

そのあいだを行き来できる人間は多くない。

だからこそ、李佳のような人材が育つかどうかは、今後の組織にとって決して小さな問題ではなかった。

しばらくして、スマートフォンが短く震えた。

趙美雅からだった。

「分かりました。少し様子を見てから話してみます」

それだけの返事だった。

余計なことは書かれていない。けれど、その短さの中に、山本はいつも不思議な確かさを感じる。彼女は、受け取るべきものだけを受け取り、余計なものを持ち込まない。

だからこそ、任せられる。

山本は画面をしばらく見つめ、それから伏せた。

山本は、届いた資料をもう一度開いた。

丁寧に作られた中国側の代案。その過剰さの中には、単なる経験不足だけではなく、「任された以上はやり切る」という一つの仕事観が見えている。

その仕事観は、使い方次第では大きな強みにもなるはずだ。

問題は、それをどのように方向づけるかである。

そして、その方向づけは、おそらくこれから数週間のやり取りの中で決まっていくのだろうと、山本は考えていた。

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