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エッセイ14話『私は今日も、ごまをする』

【吉日のおかわり(自由)】14話

​「ごまをする」という言葉には、大きく分けて二つの意味がある。
​一つは、料理の工程で、すり鉢とすりこぎを使い、粒を細かく砕く作業。
もう一つは比喩的な意味で、他人の機嫌を取ったり、おべっかを使ったりする振る舞いのことだ。

​なぜ、ごまを砕くことが「媚びる」意味になったのか。
諸説あるようだが、すり鉢の中で潰されたごまが器のあちこちにベタベタとくっつく様子が、相手に擦り寄って機嫌を取る姿に見えるからだという。

実を言えば、私はそのどちらもあまり得意ではない。
それなのに、私は毎日「ごまをすって」いる。
​もちろん、日常的に行っているのは前者の方だ。
毎朝、しじみとわかめ、豆腐の入った減塩味噌汁にすりごまを加える。
すると、香りと味に深いコクが生まれるのだ。
この小さな幸せを味わうために、私は欠かさずごまに向き合う。
​「すっている」とはいえ、手間も時間も労力もかける作業は本来苦手な性分だ。
だから、ほとんどの日はジップロックに入れたいりごまを、大きめのスプーンの裏で叩いて砕く。
いりごまの中に砕かれた「すりごま」が混じり合っているのだから、これも立派に「ごまをすっている」状態だと言っていいはずだ。

ふと、考えた。
得意ではないはずの、もう一つの「ごますり」だって、実は無意識にこなしているのではないだろうか。
​すぐさま、最近の出来事が脳裏をよぎった。

「1位になったわ!」
母からLINEが届いた。
どうやら地域の吹き矢大会で優勝したらしい。
母と私、そして妹のグループLINEに、的の前で満面の笑みを浮かべる母の写真が送られてきた。
画面越しにも、その誇らしげな温度が伝わってくる。
​私は即座に判断を迫られた。

「これは、どちらだ?」

優勝という偉業は素直に素晴らしい。
私はまず、事実に即した祝福を送ることにした。
「すごい! 優勝おめでとう!!」
妹も同じジャッジをしたようで、すぐさまお祝いの言葉を重ねていた。
​すると、母からすかさず返信が届く。
「お母さんの前髪、似合ってる? 若く見えるかしら」

​ああ、やっぱり「そっち」だったか。

いつも写真映りを気にする母が、わざわざ自画像を添えてくるときは、だいたい自分でも納得のいく一枚が撮れたときだ。
私は迷わず打ち込んだ。
「10歳くらいは若く見えるよ!」
妹もすぐさま「本当に10歳くらい若い!」と強力な援護射撃を送る。
それを受けた母からは「嬉しいこと言ってくれるね、ありがとう!」とはずんだメッセージが返ってきた。
​そのとき、私と妹の心は重なった。
「うん、正解はこっちだった。これでいいのだ」。

​一見すれば「おべっか」のようだが、写真の中の母は確かに、10歳くらい若く見えなくもない。
完全な「すりごま」ではなく、事実という「いりごま」が適度に混じり合っている。
これまで何度も伝えてきた言葉ではあるけれど、母にとってその称賛は、何度でも「おかわり」したい大切な称号なのだろう。
​香ばしいコクのため、そして誰かの笑顔のため。
私は明日も明後日も、せっせと「ごまをする」ことに決めている。

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