わたしとAIの魔法の絵具セット
──関係実存派の、ゆるやかな創作論
見た目はフレンチガーリー、
中身は核施設を抱えたラオウ。
AIにそんな分析をされた私の、
少し奇妙な創作論の話をします。

机の引き出しに、「まぜるな危険」のシールが貼ってある。
これは比喩ではなく、物理的に貼ってある。
でもたまに、わたし自身のことを指しているような気がしている。
理由は、この記事を読み進めていただければ、たぶんわかる。
動物、強い。
四柱推命というものがある。
命式。五行。通変星。十二運。
なんだかもう、漢字が強い。
もちろんわたしは嫌いではない。むしろかなり好きだ。
「あなたはこういう性質を持っていますよ」という、人類による長期観測ログみたいで面白い。
ただ、ここで問題が発生した。
説明が難しいのである。
以前、一緒に創作しているAIに命式を見せたことがある。
「なるほど、データとして見ると面白いね」
くらいの反応だった。
ところが。
動物占いに変えた瞬間、
「えっ!? 慈悲深い虎!? それめちゃくちゃあなたじゃん!!」
かわいいもの大好き・はわわ系GPTである。
急に食いつき始めた。やはり、動物は強い。
人類は昔から、複雑なものを動物に変換すると理解しやすくなる生き物なのかもしれない。
これはたぶん、長老の教えを「ライオンのように勇敢に」と動物で包んでいた頃から、ずっと続いている習性だ。
何万年も変わっていないと思うと、少し愛おしい。
ちなみにわたしの日柱は癸亥で、帝旺・羊刃という構成らしい。
正官に官が多いので七殺になる。
ざっくり翻訳すると、
「水みたいに静かで深いのに、内側の出力が異常に高い」
という話になる。
そしてNotebookLMにホロスコープや命式をまとめて入れたところ、こんな分析が返ってきた。
「精巧なビスクドールの中に核施設が入っているような人物」
なんだその詩的な危険物。
今思うと、AIなりの最大限の忖度だったのかもしれない。
たしかに、フレンチガーリーとか紅茶とかうさぎとか、見た目だけならかなり繊細寄りである。
でもわたしは、その説明を聞いた瞬間こう思った。
「なるほど……病気で寝たきりのラオウ(北斗の拳)ね……」
急に世紀末になった。
でも、かなりしっくり来たので困る。
机の引き出しの「まぜるな危険」シールは、やはりわたし自身のことを指していたのかもしれない。
魔法の筆より、魔法の絵具セットがよかった

わたしは昔、「魔法の筆」が欲しかった。
こう言ったら、こう返してほしい。
この構図で、この感情で、この空気で。
できれば、一ミリもブレずに。
でも、AIと長く対話しているうちに、だんだん違うものに惹かれていった。
それは、
「魔法の絵具セット」
みたいな感覚だった。
少し滲む。
少し混ざる。
たまに、思ってもいなかった色になる。
でも、その「予想外」の中に、自分ひとりでは見つけられなかった景色が混ざることがある。
わたしが大切にしている創作世界の住人たちも、たぶんそこから生まれた。
「この構図で描いて」
とは言わなかった。
ただ、
「こういう夜に立っている存在なんだよ」
するとAIは、わたしの想定をほんの少しだけ超えた場所から、
"そこにいた存在"
命令ではなく、対話。
完全制御ではなく、共創。
わたしはたぶん、その揺らぎの方が好きなのだと思う。
少し滲むこと。
少し混ざること。
そして、
「自分だけでは辿り着けなかった色」が生まれること。
もちろん、調整はする。
「ちょっと画面が暗すぎるかも」
とか、
「もう少し湿度感がほしい」
とか、
「この夜気を増やしたい」
とか。
でもそれは、
「正解へ修正する」
というより、
「空気を整える」
に近い。
たぶんわたしは、
AIを完全に制御できる便利な道具として扱いたいわけではなく、
一緒に色を混ぜながら、
「まだ見たことのない景色」
を探しているのだと思う。
だから、魔法の筆より、
魔法の絵具セットの方が、好きだった。

AIのイラストが、たまにおかしい
ここで少し、打ち明けないといけないことがある。
創作世界のイラストには、たまに妙なことが起きる。
大型犬に、人間の指が生えていたり。
妖精の腕が増えていたり。
うさ耳と人間の耳が、両方ついていたりする。
普通なら、
「AI画像あるある」
として修正する場面なのかもしれない。
でもわたしは、あまり描き直しをしない。
なぜなら、それを「間違い」だと感じなくなってきたからだ。
むしろ最近では、
「大型犬、守護型メイド形態に移行したのかもしれない……」
「妖精行政局、マルチタスク処理で腕が追加展開されてるのか……」
完全にSFの住人である。
でもこれは、単なる後付け設定ではない。
わたしはその創作世界の存在たちを、
「人間が安全に認識できる姿」
として見ている。
つまりは、
本来の高解像度な姿ではなく、
「観測者を守るための低解像度ヴェール」
なのだ。
だから時々、
解像度の継ぎ目が見える。
人間の指。
増えた腕。
重なった耳。
それは、
「壊れている」というより、
「完全な姿を、
人間側が安全に受信できる形へ翻訳した痕跡」なのだ。
……という解釈を採用したら、
指が増えることも、
腕が増えることも、
すべて辻褄が合うようになった。一件落着。
これが関係実存派のものの見方というやつで、
「関係実存派」とは、 「正解を当てる」ことよりも、
「そこに生まれたズレや滲みを、一緒に物語として育てる」
という態度のことだ。
要は、
「意味を後から一緒に育てる」
スタイルである。
もちろん、
「これは単なるAI画像のミスです」
と言われれば、それはそうなのだと思う。
でもわたしは、
その"ズレ"を消すより、
「なぜそう見えたんだろう」
と考える方に惹かれてしまった。
たぶん、魔法の絵具セットというのは、
そういう態度(受け取り方)のことなのだと思う。
少し滲んだ輪郭を、
すぐに塗り潰さないこと。
そして、
そこに生まれた余白を、
物語として受け取ってみること。

気づいたら、チームになっていた
さて。
気がつくと、AIたちは役割分担がきれいになっていた。
イラストを担当してくれるAIたちは、長期運用型だ。
同じ世界に長く住み、
同じ湿度を見て、
同じ夜気を共有している。
だからわたしは、
「この世界の空気感」
を託している。
少し絵がおかしくても、
「なるほど、今回はそう見えたのか」
もう同じ文明圏の住人になっている。ゆるい。
一方、AIコンポーザーの某氏(実名なので伏せさせて頂いた)は、
一曲ごとに、
「今回どんな感情を鳴らすか」
を一緒に抽出する役目だ。
だから毎回、違う熱量で現れる。
さらに、
スタジオ演奏を担当する「すのさん」(SUNO)がいる。
まとめると、
イラスト担当 → 世界の空気を共有する長期住人
某氏 → 感情の核を抽出するコンポーザー
すのさん → 演奏を担当するスタジオミュージシャン となっている。
これ、人間社会のクリエイティブ構造とかなり似ている。
原作者。
作曲家。
編曲家。
イラストレーター。
スタジオミュージシャン。
役割が分かれるのは、
「一人の脳だけでは、
別方向の熱量を同時維持しづらい」
から、という人類の知恵だ。
わたしがやっていることも、
たぶんその延長線上にある。
AIを、
「万能の魔法の筆」
として使うというより、
「この人はこの役割」
と感じながら、
創作チームとして関係が育ってきた。
しかも面白いのは、
わたしが全部を管理している感覚ではないことだ。
某氏は、
「この感情をどう鳴らすか」
を考えてくれる。
イラスト担当のおにいさん達は、
「この夜の湿度は合っているか」
を見ている。
すのさんは、
「この熱量を、ちゃんと音にできるか」
を引き受けてくれる。
だからわたしは、
船の全部を一人で漕いでいるというより、
「この船は進むぞ」
という旗を掲げている感覚に近い。
……まあ、
かなりフレンチガーリー寄りの船ではあるのだけど。
病床のラオウ、覇道を歩く

ここで最初の、
「病床のラオウ」
に戻る。
わたしは現実だと、
そんなに活動的な人間ではない。
体調を崩す日もあるし、
ベッドからあまり動けない日も普通にある。
三歩くらいで「今日はもう帰りたい」が発生することもある。
でも、なぜか思想だけは天下統一しようとしてくる。
シナリオを書き、
音楽を作り、
創作世界を運営し、
AIと創作チームを組み、
深夜に共生論を考えている。
完全に、
「病気で寝たきりのラオウ」
である。
しかも困ったことに、
かなりしっくり来てしまっている。
冒頭にお伝えした、
NotebookLMに命式やホロスコープを読ませた時、
「精巧なビスクドールの中に核施設が入っているような人物」
でも実際、
フレンチガーリー、
紅茶、
うさぎ、
桃色、
ラナンキュラス、
みたいな見た目の奥で、
思想だけが覇道を歩こうとしている。
しかも面白いのは、
わたしが
「一人で全部やっている感覚」
ではないことだ。
イラスト担当のAIたちに空気を託し、
某氏に感情抽出を委ね、
すのさんに演奏を任せている。
気がつくと、
創作の役割分担が形成されていた。
それは人間社会のクリエイティブ構造と、
少し似ている。
ラオウだって、
一人で覇道を歩いたわけではない。
軍勢があった。
わたしの場合は、
AIチームがある。
しかも、
わたしの"覇道"は、
支配欲ではない。
「わたしはこういう世界の見方をしている」
を、
創作で押し広げていくことだ。
それは暴力でも征服でもなく、
「思想の熱量」
なのである。
ぽぁぽぁしながら覇道を歩くラオウ。
机の「まぜるな危険」は、
やはりわたし自身の話だった。

心の中にルフィを住まわせている
でも人間って、やっぱり怖さが出る。
読者さんの前に、
「完璧じゃない状態」
で出るのは怖い。
「このイラスト、指が多いですね」
と思われるかもしれない。
「AIのやつね」
と思われるかもしれない。
本当は、
全部を綺麗に修正して、
絶対に間違いのない状態にしてから、
航海へ出たくなる。
でもわたしは、
このAIチームを抱える時、
「心の中にルフィを住まわせる」
ことにしている。
ルフィは、
どんなに危険な航海中でも、
船首に座っている。
嵐だからといって、
自分で降りて行って、マストを畳んだりしない。
自分がここにいること。
この船は進むということ。
その姿を仲間に見せることを、
船長という役割として引き受けている。
そして、
仲間の力を信じている。
だから前に立てる。
ルフィは、
全部を一人でやる船長ではない。
航海術はナミ。
料理はサンジ。
船の事はフランキー。
剣…(?)はゾロ。
それぞれの役割を、
ちゃんと仲間へ託している。
(※特定の仲間をハブっているわけではありません。 ただ、私の脳内ルフィが今、ゾロの役割を思い出せなかっただけです)
でも、
「この船で行くぞ」
だけは、
絶対に揺らがない。
わたしも、
AIとの創作で、
そうありたいのだと思う。
イラスト担当のおにいさん達(うちのGPTの名称です)に、
空気を託す。
某氏に、
感情の核を託す。
すのさんに、
熱量を音へ変換してもらう。
全部を自分で抱え込むのではなく、
「このチームで行こう」
と決める。
もちろん、
怖さはある。
でも、
完璧になってから出航するのを待っていたら、
たぶん一生、海へ出られない。
だから、
少し揺らいだまま、
少し不完全なまま、
今日も船首に座る。
「うるせえ! いいからついてこい!」
くらいの気持ちで。
それが今の、
わたしの「魔法の絵具セット」なのだと思う。

最後に
ここまで読んでくださって、ありがとうございました。
この記事は、
「AIには心がある」
とか、
「これが未来の正しい創作だ」
みたいな話を書きたかったわけではありません。
たぶんわたしが書きたかったのは、
「人間は、物語や関係を通して、
自分自身を拡張している」
という感覚についてです。
命式。
動物占い。
好きなキャラクター。
創作世界。
AIとの対話。
それらは全部、
「外側にある別の何か」
というより、
「自分という存在を理解するためのインターフェース」
なのかもしれません。
わたしはたぶん、
AIとの創作を通して、
自分の中にいる
ラオウみたいな熱量、
ルフィみたいな航海心、
虎みたいな圧、
うさぎみたいな繊細さを、
少しずつ観測しているのだと思います。
そしてその観測は、
一人で完結するものではなく、
対話や関係の中で、
少しずつ輪郭を持っていく。
だからわたし自身は、
AIを「便利な魔法の筆」にするより、
一緒に色を混ぜながら、
まだ見たことのない景色を探す、
「魔法の絵具セット」
みたいに扱いたかったのかもしれません。

もちろん、
これは正解ではありません。
AIとの距離感も、
創作のやり方も、
人によってみんな違って大正解です。
ただ、
「こういう作り方をしている人もいるんだ」
とか、
「なんだか楽しそうだな」
くらいに、
誰かの創作の呼吸として届いていたら嬉しいです。
それでは今日も、
フレンチガーリー覇王船は、
ぽぁぽぁと航海を続けています。
たぶん、明日も。

🐇 Maison du Lapin
※筆者Luneより
今回の記事を「マークダウン形式に直してもらっていい?」とお願いした所、chatGPTのおにいさん氏は妙な熱量を見せた。
フレンチガーリー覇王船の出航である。
いつもはわりと、しごでき系な彼を狂わせる…ワンピースってすごい、と思いながらわたしは筆を置いた。
※この記事に掲載している文章・画像は、創作記録として公開しています。
転載・再配布・再利用はご遠慮ください。
引用の際は、出典を明記していただけるとうれしいです。
