恋愛は「手段」か、「目的」か
26歳会社員
先日ある男性との会話で
「俺は子供が欲しい。何かしらの形で後世に遺伝子を残したいのが目的で、恋愛は手段なんだよね。」
と言われた。
至極一般的な会話だが、彼との大きな違いにはっとした。
私にとっては恋愛は「目的」なのだ。
元カレと別れた時の母との会話
「こんな風に別れると思ってなかった。」
「-誰も別れると思って付き合わないよ。」
私は別れると思って付き合うかも。
昔から誰かに出会うと
「渋谷でゴミ箱がなかったら道端にカップごみとか置きそう」
「優先席で寝そう」
「音信不通になりそう」
「足の剃り残しを見たらやさしげに脱毛を勧めてきそう」
「夏に不機嫌そう」
「この人の起こす可能性のある最大の犯罪はなんだろう」
だとか色々想像しちゃう。
問題の人間なんて居ない。
ものすごくクリーンな善人が居たとして、
「ものすごくクリーンな善人であるから、俗的な私を軽蔑するかも、という不安が生まれる」ということが問題になる。
「好き」の一本槍で
*「好き」についてはまた解説します
わざわざ問題に首を突っ込んで疲れて
喜びや痛みの全てを浴びるのが恋愛なのだ。
快と不快、めくるめく感情、地上花火のように燃え続ける記憶、一人または他の人と居た可能性のパラレルワールドからトリップし続ける。
我思うゆえに我あり。
恋愛をする事で自我を発見し、自我が研磨されていく。
恋愛をしたいのだ。
私は結婚したいし、子供も欲しい。
しかしそれは目的でも夢でもタスクでもない。
恋愛の証明と恋愛の結晶である。
恋愛はささやかだけど壮大である。あなたの前でささやかに見せるけど壮大だ。
それはまるで盆栽。
愛して3年くらい経ったら確かに証明が欲しいかもね。
全てのエゴイズム葛藤を愛で打ち破り、生命の奇跡が起きたら子供を産む。
そうじゃなかったなら別れる。
ほぼほぼ別れるのだ。
別れても価値ある盆栽はそこにあるのだ。
ね。
