「自由を捨ててまで、結婚はできなかった」
「愛されてるはずなのに、どんどん自分じゃなくなっていく感覚」
初めて婚約したとき、私はそんな気持ちをずっと抱えてた。呼ばれたら行くってことは、私にはあまりなかった。
でも多くの場合は、相手の都合に合わせて会ってた。
「私の予定」じゃなくて「彼の予定」に、自分をすり合わせていく感覚。
そういう付き合い方が、当たり前になってた。
というかそうしなくてはいけないと思っていた。
感覚がずれてしまっていた。
実は昔から、“結婚できない男”を選んでしまう傾向があった。
…正直に言えば、結婚したくなかったのだ。
「私は男を見る目がある」
そう思ってた。というか、信じてた。
あるとき、スピリチュアルな人にこう言われたことがある。
「あなたは男を見る目がありますよ。だから、そういう人と付き合ってるんでしょ?」
そのとき、なんかしっくりきちゃったんだよね。
“だから私が選ぶのは不倫や問題のある男なんだ”って、妙に納得してしまった。
だって、「独身で、結婚したい人」に好かれると困るから。
実際、私は一度、婚約までしたことがある。
両親にも紹介されて、
どんな家を建てようか、結婚式はどこでしようか、
親戚づきあいはどうするか…みたいな話が、どんどん進んでいった。
彼の家は由緒正しき家ってわけじゃないけど、かなりの地主だった。
イオンモールに土地を貸してるくらい。
「じいちゃんが死んだら土地が入る」とか、「資産の管理を任せたい」とか、そんな話も出てた。
決して、お金目当てじゃなかった。
たまたま“ついてきてた”だけ。…だからこそ、余計に苦しくなった。
彼は私の見た目にも制限をかけてきた。
「メイクは薄めがいいな」
「スカートは履かないでほしい」
「そんなの、自分じゃなくなる」って思いながらも、
どこかで頷いてた。
だって、言うことを聞くのが“愛”だと思ってたから。
私の「好き」や「自由」は、どんどん削られていった。
決定的だったのは、彼のお母さんの一言。
「そんなに接客業が好きなら、家の近くのイオンモールで働いたら?」
ただの提案かもしれない。
でも、当時の私は「働く場所までコントロールされるのか…」と感じてしまった。
「結婚=自由がなくなる」
そう感じた瞬間だった。
「やっぱり…」
そう感じた。
やはり結婚とは自由を失う行為なのだと。
ちゃんと愛されてたと思う。
でも、“そのままの私”を肯定してくれる愛じゃなかった。
今なら思う。
愛って、もっと自由なものじゃなきゃ意味がない。
「結婚」って名前だけじゃ、私は幸せになれなかった。
だから、あのとき婚約をやめた。
名前もカタチも決まっていない、
“私の自由”を守るために。
愛されるより、私でいることを選びたかった。
