グラミー賞にアジア枠ができた今、MUSIC AWARDS JAPANの存在意義はどこにあるのか
2027年のグラミー賞に、「Best Asian Pop Music Performance」が創設される。
K-POP、J-POP、C-POPなど、アジア市場に由来する、あるいはアジア市場で広く認識されているポップミュージックを対象とする新カテゴリーだ。さらに、1つ以上のアジア言語が意味を持って使われていることが条件とされている。
このニュースは、J-POPにとって大きな出来事である。それについては、前の記事で記載した通りだ。
しかし同時に、私は別のことを考えた。
MUSIC AWARDS JAPANの存在意義は、これによって再定義を迫られるのではないか。
MUSIC AWARDS JAPANの存在意義とは
もちろん、MUSIC AWARDS JAPANが無意味になったと言いたいわけではない。国内の音楽を記録し、その年の日本の音楽シーンを総括する賞としての役割は残る。J-POP、ロック、ヒップホップ、R&B、アニメ楽曲、ボカロ、アイドル、演歌・歌謡曲、ライブ、MV、クリエイター部門など、日本の音楽文化を細かく可視化する国内アワードとしての価値はある。
しかし、グラミー賞が「Best Asian Pop Music Performance」を作ったことで、少なくとも「日本の音楽を世界へつなぐ国際音楽賞」としての役割は、大きく揺らいだように見える。
MUSIC AWARDS JAPANは、日本音楽の国際評価における“中間装置”になり得る可能性があった。つまり、日本国内の賞でありながら、グラミーや世界市場へ向かう前段階として、日本発の音楽を国際的に位置づける役割を持たせようとしていた。
だが、グラミー自身がアジアンポップの公式カテゴリーを作ってしまった。
これによって、J-POP、K-POP、C-POPをまとめて評価する最も権威ある賞は、MUSIC AWARDS JAPANではなくグラミー賞になった。少なくとも、国際的な認知という意味ではそうならざるを得ない。
日本側が「J-POPを世界に届ける」と言って作った評価装置よりも先に、アメリカ側のグラミーが「アジアンポップ」という棚を作ってしまったのである。
Adoが所属しているクラウドナイン代表の千木良卓也氏が以前から危惧していたように、J-POPが「アジアンポップ」の一部として認識され、その中でニッチ化していく危険性は現実になりつつある。グラミーの新カテゴリーは、まさにその構図が制度化されたようにも見える。
これからのMUSIC AWARDS JAPANは、「世界に認められるための賞」ではなく、「日本の音楽が何を守り、何を世界に出すのかを定義する賞」にならなければならない。
ここを間違えると、MUSIC AWARDS JAPANは単なる国内版グラミー、あるいはグラミーのアジアンポップ部門に作品を送り出すための前哨戦になってしまう。
日本が本当に必要としていたのは、グラミーに認めてもらうための下請けアワードではない。J-POPを、K-POPやC-POPとまとめられる前に、J-POPとしてどう定義するのかを示す場である。
日本の音楽の強み・良さとは何か
J-POPとは何か。日本の音楽の強みはどこにあるのか。
ロック、ヒップホップ、シティポップ、演歌、ボカロ、歌い手、アニメ、ゲーム、アイドル、ネット発音楽。
世界で流行しているジャンルにただ合わせるのではなく、様々な音楽がその時代の日本を牽引していく。そして、その時代の中でも数えきれないジャンルの曲が生まれ続けていく。それがJ-POPの良さであり、強さではないだろうか。
世界の流行に合わせることだけが、J-POPの価値ではない。日本の音楽は、独自の文化が枝分かれし、派生し続けることで発展してきた。MUSIC AWARDS JAPANが生き残るとすれば、それを示すしかないのではないか。
グラミーにアジアンポップ部門ができた今、MUSIC AWARDS JAPANが「国際音楽賞」を名乗るだけでは足りない。むしろ、グラミーが作った「アジアンポップ」という棚に対して、J-POPはそんな棚に収まるものではないことを証明する必要がある。
J-POPはアジアンポップの一部なのか。それとも、J-POPはJ-POPとして世界に提示されるべき音楽なのか。
この問いに答えられないなら、MUSIC AWARDS JAPANは存在意義を失っていくだろう。
アジアンポップ部門ができたことは、J-POPにとって前進である。だが、MUSIC AWARDS JAPANにとっては厳しい現実でもある。
グラミーがアジアンポップを評価する時代に、日本の音楽賞がただ「世界へ」と叫ぶだけでは意味がない。
これから必要なのは、世界に合わせた賞ではない。世界から分類される前に、日本の音楽を日本側の言葉で定義する賞である。
MUSIC AWARDS JAPANが本当に存在意義を持つとすれば、それはグラミーの前哨戦になることではない。
J-POPを「アジアンポップの一部」で終わらせないという、意思を持った賞になることだ。
そして、それは賞だけで完結する話ではない。
音楽は、評価される前に、まず現場で鳴らされなければならない。J-POPがJ-POPとして世界に存在するためには、海外の賞レースに分類されるのを待つのではなく、日本側が自ら海外に出ていき、観客を集め、フェスを作り、文脈を作る必要がある。
そこで重要になってくるのが、クラウドナインが主導する海外J-POPフェス「Zipangu」である。
グラミーが「アジアンポップ」という棚を作るなら、日本側はその棚に収まるのではなく、J-POPそのものの棚を海外に作らなければならない。
MUSIC AWARDS JAPANがその意思を示す場だとすれば、Zipanguはそれを実際の海外興行として証明する場になる。
J-POPは、誰かに分類される音楽なのか。
それとも、自らの名前で世界に場を作る音楽なのか。
その問いに対する最も具体的な答えが、次に語るべきZipanguなのだと思う。
