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目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹

2026年5月12日


🌿俳句の旅

「目つむりていても吾を統ぶ五月の鷹」
寺山修司

初夏の空を見上げていると、ときに自然の大きさに圧倒される瞬間があります。青く高い五月の空を悠然と舞う鷹。その姿は単なる風景としてではなく、人の内面にまで入り込んでくるような強烈な存在感を放っています。寺山修司のこの一句は、そんな自然の力と、人間がそれに包み込まれる感覚を鮮やかに描き出した作品です。

特に心に残るのが、「目つむりていても」という冒頭の表現です。普通であれば、何かを感じるためには“見る”ことが必要です。しかしこの句では、視線を閉ざしてなお、鷹の存在が消えません。むしろ、目を閉じることで気配や空気の広がりがより強く身体へ入り込み、精神の奥深くまで浸透してくるような感覚があります。

五月特有の乾いた風、高く澄んだ空、強い光――。その季節全体が「鷹」という存在に凝縮され、作者自身を支配しているようにも感じられます。ただ景色を眺めているのではなく、自然そのものに身を包まれている感覚。それが、この一句の大きな魅力です。

以下はAIによる鑑賞文ですが、その読み解きの鋭さには思わず引き込まれます。

この句は、圧倒的な存在感を持つ自然と、その前に立つ人間の感覚を鋭く描いた作品である。「五月の鷹」は、初夏の澄みきった高い空を悠然と飛ぶ象徴的存在として描かれている。しかし、この鷹は単に空を旋回しているだけではない。「目つむりていても」なお作者を「統ぶ」、つまり包み込み、精神の中心にまで影響を及ぼす存在として示されている。

ここで重要なのは、「見る」という感覚を超えている点である。実際に視線で追わなくとも、その気配や大空の広がりが身体の内側へ浸透している。五月という季節の明るさと高さの中で、作者は自然の巨大な秩序に自らを委ねているようにも感じられる。

また、「統ぶ」という古風で格調高い言葉によって、単なる圧倒感だけではなく、自然に対する畏敬や崇高さが生まれている。自然を“眺める対象”としてではなく、自らがその中へ取り込まれていく感覚こそ、この句の核心と言えるだろう。

寺山修司は、劇作家・詩人・映画監督など幅広い分野で活躍した表現者として知られていますが、俳句や短歌にも非常に鋭い感性を残しています。この一句にも、自我と世界との緊張感、若々しい衝動、そして自然への深い畏怖が凝縮されており、寺山修司ならではの強い詩情が響いています。

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