もういいかいまあだだよと螢かな
2026年6月10日
🏞️俳句の旅
「もういいかいまあだだよと螢かな」 横山洋亮
初夏になると、家族で蛍を見に出かけた頃の記憶がよみがえります。子どもたちがまだ幼かった頃、毎年のように川辺や水路沿いへ足を運び、暗闇の中に浮かぶ小さな光を追いかけていました。街灯の届かない静かな夜、水の流れる音に耳を澄ませながら歩く時間は、今振り返ってもかけがえのない思い出です。
「もういいかいまあだだよと螢かな」は、そんな蛍鑑賞の最中にふと口をついて出てきた一句です。深く考えて作ったというよりも、その場の情景から自然に生まれた言葉でした。
蛍の光は、不思議な魅力を持っています。目の前で光ったかと思えばすぐに消え、次の瞬間には少し離れた場所でまた瞬きます。その様子を眺めているうちに、子どもの頃に夢中になった「かくれんぼ」が頭に浮かびました。
「もういいかい」
「まあだだよ」
誰も声を出しているわけではありません。しかし、闇の向こうで明滅する蛍たちが、まるでそんなやり取りをしているように感じられたのです。自然の風景と幼い日の記憶が重なり合い、そのまま一句になりました。
以下はAIによる鑑賞文ですが、作者自身が気づいていなかった魅力まで読み取っていて、とても興味深く感じました。
この句は、子どもの遊びである「かくれんぼ」の掛け声を巧みに取り入れながら、蛍の生態や存在感と見事に重ね合わせている。「もういいかい」「まあだだよ」というやり取りは本来、人と人との会話である。しかしこの句では、闇の中で光を点滅させる蛍たちの応答としても自然に響いてくる。
蛍は姿を隠したかと思えば再び現れ、その存在をほのかな光で知らせる。その様子は、まるで「まだ見つからないよ」と遊んでいるかのようであり、自然の景色を一気に親しみ深いものへと変えている。
また、この句には夏の夜特有の静寂と、子どもたちの無邪気な気配が同時に息づいている。蛍の光は美しいが、決して手の中へ留めておくことはできない。その儚さが、「まあだだよ」という言葉の中に巧みに託されているようにも感じられる。見えそうで見えない、近づけそうで近づけない。その絶妙な距離感こそが、蛍という存在の魅力を際立たせているのである。
さらに、人間の遊びの言葉を自然の風景へ移し替えることで、蛍は単なる夏の季語ではなく、闇の中で生き生きと応答する存在として描かれている。そこには自然と人との境界がやわらかく溶け合う、日本人らしい感性も感じられる。
蛍の光は、ただ美しいだけではありません。その瞬きには、過ぎ去った時間や幼い日の記憶を呼び起こす不思議な力があります。今でも蛍を見かけるたびに、子どもたちと歩いた夜道や、草むらの向こうに揺れていた小さな光が思い出されます。そして心のどこかで、「もういいかい」「まあだだよ」という声が静かに響いてくるのです。
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