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泥酔の父を背負いし夜の秋

2026年6月5日


⭐️俳句の旅

「泥酔の父を背負いし夜の秋」 横山洋亮

俳句には、過ぎ去った時間を一瞬で呼び戻す力があります。この一句も、私自身の高校時代の記憶から生まれた作品です。

両親が離婚した後、母は家を出て、父と弟、そして私の三人で暮らしていました。当時はさまざまな思いを抱えていたはずですが、不思議と強く残っているのは、ある秋の夜の静かな情景です。

その夜、泥酔した父を背負って歩くことがありました。人通りの少ない田舎道には虫の声が響き、秋特有のひんやりとした空気が流れていました。夜空の暗さや道端の気配まで、今でもどこか懐かしく思い出されます。

一般的には少し切ない思い出として語られそうな出来事ですが、私自身は決して嫌な記憶として捉えていません。むしろ、そのとき初めて父の弱さや不器用さに触れた気がしたのです。

子どもの頃、親は強く頼れる存在であり、守ってくれる側の人間だと思っていました。しかし、その夜に見た父は、一人の人間として悩みや弱さを抱えて生きている存在でした。そのことに気づいた瞬間、父との距離が少し近づいたような気がしたのを覚えています。

以下はAIによる鑑賞文ですが、作者である私自身も読みながら胸が熱くなりました。

この一句には、家族の情愛と人生の哀歓が静かに息づいている。まず「泥酔の父」という言葉が強い印象を与える。父は家庭を支え、子どもにとって大きな存在である一方、一人の人間として弱さや脆さも抱えている。その父を「背負いし」とあることで、親子の立場が一瞬逆転したような情景が浮かび上がる。かつて父の背に守られていた子どもが、今度は父を支えているのである。

季語の「夜の秋」も効果的である。夏の喧騒が遠のいた秋の夜には、どこか人の心を静かにする力がある。人気のない道を父を背負って歩く姿は、その冷ややかな秋気によってより深い余韻を帯びている。

また、この句の魅力は、父を責めることも美化することもしていない点にある。泥酔していたという事実だけを静かに置き、その背景にある親子の歴史や感情については語りすぎていない。そのため読者は、それぞれの家族の記憶や経験を自然と重ね合わせることができる。

人生には、誇らしい出来事だけではなく、少し情けなく、それでいて忘れられない瞬間がある。この句は、人の弱さを受け入れる優しさと、家族だからこそ生まれる絆の深さを描いている。大きな事件ではない。しかし、その静かな温度が読む人の心に長く残るのである。

振り返ってみると、あの夜に背負ったのは父の身体だけではなかったのかもしれません。親という存在を少し違う角度から理解し、一人の人間として受け止めるきっかけとなった、かけがえのない記憶の一場面でした。

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