【気付き】初めて投稿した時
早速ですが、ちょっとした瞬間に出会いました。
初めてnoteで投稿した時、投稿の過程でこのような画面が表示されました。

胸がトクンとする感じ。
仄かに頬の上部が温かくなる感じ。
"嬉しい"という気持ち一言で片づけてしまうかもしれないこの感覚。
でも、折角noteに登録して書くことに向き合った今は、忘れないうちに些細なことでも書き記しておきます。
これは他の誰にも代筆して貰えない、自分だけの特別な感覚。
自分の中では当たり前で、"人間は皆そう"と思い込んで生きてきて、改めて言葉にしたことがなかったもの。
気付き
あぁ、だからか、本の中で共感出来る文章に出会うと"好き"でのめり込んだのか。
と、ふと思いました。
これは先ほど載せた画像を見て、というよりはこの文章を書きながら考えたことを通してです。
偶に今回のように、頭の中で何かが繋がる感覚になることがあります。
それを後に覚えていることもありますし、忘れてしまっていることもあるように感じます。
自分の何かと何か、又は自分の何かと外の世界の何か、が繋がった時に得られる感覚。
妙な納得感、そして、それは何か自分の過去を肯定するような感覚のような…心地好い感じ。
それは必ずしも、今回の"嬉しい"のような所謂ポジティブな感情を伴うものではない時にも言えるように思います。
もしネガティブな感情と何かが繋がった時、それでも何処か心地好いというのは…?
それは、一種の不安が解消されているからかもしれません。
気持ちの昇華が出来た、という感じです。
改めて"気持ちを昇華する"という日本語の意味を調べてみると
"不満、怨恨、劣情などの気持ちを他の価値のある社会的に認められた行為に向けることで解決を図ること"
という意味があるとのこと。
繋げた時点ではまだ本来の"昇華"はされていないので、ここから何かを生み出す、次に繋げることによって本来の"昇華"に持っていけるのです。
となれば、やはりここで自分の中で感じた感情に向き合い、それを次の何かに繋げるということは"気持ちの昇華"に繋がります。
何だか嬉しいですね。
つい、よくある単語を使ってしまいました。
でも、今書いた時にはぽつりと心の中でこの言葉が浮かんでいました。
不思議ですね。
今回の冒頭のnoteに表示された画像に話は戻りますが、あの画像が表示された時、実は私は今のように"嬉しい"という単語が心の中で浮かんでいませんでした。
実はよく分からなかったのです。
胸がトクンとする感じ。
仄かに頬の上部が温かくなる感じ。
こうは書きましたが、
明確に"嬉しい"という単語が浮かんでいなかった。
でもネガティブではなく、ポジティブな感覚だった。
この2つは確かです。
きっと、自分の中で"嬉しい"という単語とは別の何か、複合的な気持ちだったので上手く整理出来なかったのだと思います。
戸惑い?意外性?自分が素直に受け取れない何か?
これを"嬉しい"と受け取ることが出来ない何か?
この現象に気が付いて、今、"楽しい"です。
きっと調べれば、この世の中に似た"何か"は出てくるかもしれません。
でも、今、自分しか知らないはずの感情に、自分さえも知らない、という状況が生まれていることを、文字に起こすことによって改めて気が付くことが出来て"楽しい"です。
今回の気持ちを"嬉しい"と言うのだ!
と自分の中で定義付ければ、今後同じような状況になった時、私は"嬉しい"のだ、と感じるようになるかもしれません。
でも、それで良いのか?
という気持ちも生まれました。
書き残すという点で、時間も短くなるし、分かり易い表現になるかもしれません。
これは、"赤い林檎"から"赤い"を取って"林檎"だけにしても意味は通じることと同じような気がします。
"赤い"だけではなく、"虫食い"のある"林檎"だったかもしれない。
でも、そこまでの情報がなくても"林檎"で良い。
音楽もそう、楽譜の音符1つ1つは確実な音を示しているけれど、何かが失われている。
だから、伝統芸能等は目から目、耳から耳、五感で伝えられているのか…と妙に納得しました。
いえ、自分の中で繋がりました。
文章は長くなるかもしれない。
世は簡潔な文章を求めているかもしれない。
でも、私は簡潔に書ける文章にする、敢えて短くする、必要はないと感じました。
勿論、日本語の文章的な"読み易さ"という点では、一文の長さを短くしたり知らなかった単語を知るということは必要かと思いますが、自分が感じたことを敢えて短い単語に置き換える必要はないのではと。
置き換えることで、それはそこにあった"何か"を失ってしまうように感じたからです。
そして、今私は世に求められている文章を書くのではなく、先ず、自分が求めている文章を書く必要がある、書けるようになる必要があるのです。
きっと、脳は最適化が上手なので、置き換えられるようになるとその置き換えたものだけを残しておく気がします。
あ、これは味覚とも似ているのかも…と又ふと頭に浮かんだり…
あれこれ考え始めると、収集が付かなくなってしまいますね。
でも、このあれこれ考えていることも"好き"で"楽しい"気がする。
そして、今だけではなく今までそうやってあれこれ飛びながら考えてきたな、と改めて認識しました。
文章から得る感情
本からは、新しい世界を知る、そんな風に、一方的に何かを貰うものだと思っていました。
勿論、気付きを貰える時点で何かを貰っているのですが…
気付きの中でも触れていますが、
あぁ、だからか、本の中で共感出来る文章に出会うと"好き"でのめり込んだのか。
この感情が生まれたのは、人の数だけある感じ方の中で自分と近い感じ方に"出会えた"から。
心の何処かで、自分と全く同じ感じ方の人は"いない"と考えているからこそ、自分の感じ方と近い人がいるのだと思うと"嬉しい"、いや、もっと強い感情、"理解者"を見つけた"感動"のようなものを感じているのかもしれません。
でも、"感動"自体も様々な意味合いを詰め込んで省略した単語に感じます。
何だか歯痒い。
でも今日は、"感動"についてあまり掘り下げるつもりはないので、調べてみました。
そして偶然見つけたのがこちら。
"肯定的な体験を表現する総称であり、伴う感情の質だけではなく、心が動く向きによって分類される"
個人体験の感動事例は、A.驚きの感動、B.達成の感動、C.充足の感動、D.回帰の感動、の四つに分けられます。この四分図に、たとえばマズロー心理学が説く①生理的欲求、②安全の欲求、③所属愛の欲求。④自尊の欲求、⑤自己実現の欲求、からなる人の質的な欲求段階を次元軸として組み合わせた立体座標を想定すると、個々の感動の位置を定め分類していくための「感動空間」になりそうです。
画像から得た感情
随分とあちこち寄り道をしてきましたが、冒頭の画像に戻ります。
胸がトクンとする感じ。
仄かに頬の上部が温かくなる感じ。
一体、私は何を感じていたのでしょうか。
この画像、実際には紙吹雪の効果(動く)が重ねられていました。
そう、お祝いのクラッカーやくす玉、そしてステージ上で撒かれる紙吹雪のように。
ここで2つ思い出しました。
1つ目は幼少期のお誕生日会でのクラッカーから。
嬉しいけれど、気恥ずかしい、照れてしまう、そんな複数の気持ちがせめぎ合う感じ。
くす玉を割る時もそう。
"嬉しい"という100%の感情だけではなくて、気恥ずかしい、照れてしまう、が同時に存在していました。
2つ目はステージ上の効果として使用されていた紙吹雪から。
ステージ上で使われる紙吹雪は、その時々で意味合いが変わります。
ただ単にフィナーレの盛り上げとして使用される場合。
桜や雪、そのステージの物語の中の何かに擬える場合。
"切なさ"、"感動"、様々な感情へ導くことが出来る効果として使用されていると感じます。
胸がきゅっと一点で密度が高くなる感じ、締め付けられるように苦しい訳ではなく、瞬間的に感じる感覚。
全てが開放的になって、大きく息を吸って吐くのを忘れてひたすら拍手をしてしまうような感覚。
この様々な感覚が、今、私の書いたものに贈られた。
"嬉しい"の一言に変換出来なかった訳です。
でも、今、私はこの感情に気が付いて"嬉しい"です。
私を構成しているものは、明らかに過去の数々の体験からきている。
私はその体験をまだ覚えていて、追体験することで、又似たような感情に出会うことが出来ました。
最初に画像を見た時に、"嬉しい"と単純に紐付けを行ってしまったら、この感情を失うことになっていたかもしれません。
ふと、ここで又気が付きました。
私は"感覚"と"感情"という言葉の線引きを自分の中で明確にせずに書いている。
"感覚的"にこの2つを使っている。
何かしら自分の中で基準らしきものがあるので、どちらかの単語を選択している。
こちらを読んでから、改めて自分の書いたものを見てみると、無意識で同じようなことをしていたようです。
過去に体験した感覚、今体験した感覚。
そこから感情に変換している。
終わりに
思いがけないタイミングで表示された画像に抱いた感覚。
そして感情。
勿論noteさんがポジティブな感覚、感情をクリエイターが感じる為に用意している効果だと思いますが、そこから受ける感情は十人十色。
自己紹介を書いている時には想像もしていなかった、自分の中にあったものに触れる機会を頂きました。
まさか2つ目の記事がこのような内容になるとは。
今、胸の中がきゅっとしています。
でも、このきゅっとしている感じは"切ない"時のきゅっとは別の感覚。
強さは"切ない"時より弱くて、範囲も少し広い感じ。
その内、感覚を分布図のように視覚化するのも面白そうです。
きっと人それぞれ違うのでしょうね。
私の、私による、私の為のもの。
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