Champion(チャンピオン)の歴史。スウェットの王者は、雪のミシガンで凍えたフットボール選手のために生まれた「縮まない布」だった#PR
我々はこれまで、コンバース・オールスター、VANS、Tretorn、Spring Court、Jack Purcell、Superga といったキャンバススニーカーの系譜を辿りながら、足元から世界を読み解いてきた。だが今回、我々は連載で初めて、視線を足元から上に上げる。
PRO-Keds のロイヤルアメリカに足を通したとき、上半身に何を纏うべきか。その問いに対して、戦後アメリカン・スポーツウェアが用意した最良の解答が一つある。
Champion(チャンピオン)。
我々40代にとって、それは古着屋の壁いっぱいに吊るされた色とりどりのスウェットの記憶であり、リバースウィーブという聞き慣れない呪文と、胸の単色刺繍ロゴで震えた青春の記憶である。
だが、そのスウェットの王者のルーツは、雪に閉ざされたミシガン州のフットボール・フィールドで、凍えながら走る大男たちの体温を一枚でも保ってやろうとした、ロチェスターの小さなニット工房にあった。
今回主役は、PRO-Keds の上半身に最もふさわしいアメリカ製スポーツウェアの始祖、Championである。
Kedsから続く歴史は、ついに「足元の上」へ
我々のブランド史連載は、これまで「履くもの」を扱ってきた。革、ゴム、キャンバス、スエード。それら全てが、地面と人体を繋ぐ最下層のプロダクトだった。
だが、考えてみてほしい。PRO-Keds のロイヤルアメリカも、コンバース・オールスターも、VANS のエラも、それ単体では成立しない。スニーカーは必ず「上半身に何を着るか」という相方を必要とする。
ローテクなキャンバススニーカーに、テカテカのナイロンジャケットは合わない。ハイブランドのロゴパーカーも合わない。最も自然に、しかも揺るぎない品格をもって足元と呼応するのは、過剰な装飾を排した、リアルなアメリカン・スポーツウェアだけである。
その代表格が、1919年に米国ニューヨーク州ロチェスターで生まれた Champion であった。
1919年ロチェスター。下着工房から始まった「冬を着る」執念
1919年、米国ニューヨーク州ロチェスター。Simon Feinbloom(サイモン・フェインブルーム)と二人の息子 William, Abraham は、街の片隅で「Knickerbocker Knitting Company(ニッカーボッカー・ニッティング・カンパニー)」というニット下着の小さな工房を開いた。

当初の主力は、農夫や工員のためのウール製の防寒下着だった。湿ると重く、肌を擦り、洗うと縮む。19世紀末から20世紀初頭にかけて、防寒下着とは「冷たさよりはマシ」程度の存在でしかなかった。
転機は1920年代後半、近郊のミシガン大学アスレチック部からの一通の発注書だった。「フットボール選手が冬の練習で凍えている。フィールドで走り、汗をかいても重くならず、暖かい上着が欲しい」。
フェインブルーム兄弟は、ウール下着で培った保温技術を応用し、コットン糸を内側でループ状に編み込む「裏起毛」のスウェットシャツを開発する。空気の層を含み、軽く、暖かく、汗を吸う。これが、現代のスウェットシャツ(Sweatshirt)の原型となった。
1934年、社名は Champion Knitwear Mills(チャンピオン・ニットウェア・ミルズ)に改称される。「下着の会社」から「スポーツアパレルの会社」への脱皮であり、ここから、米国全土のカレッジ・チームへの長きにわたる供給契約が始まった。
リバースウィーブ。布を90度回転させた、ニット工学の革命
Champion を Champion たらしめた発明が、1938年に登場する。

リバースウィーブ(Reverse Weave、逆編み製法)。
通常のスウェット生地は、縦方向(経糸方向)に編まれる。洗濯すると繊維が縮む方向もまた縦である。つまり、何度も洗うと丈が短くなり、フットボール選手のような大男にとっては数回の洗濯で着られなくなることを意味した。
Champion の技術者 Sam Friedland(サム・フリードランド)は、ある日、極めて単純で、かつ誰も思いつかなかった解決策を出す。「ならば生地を横向きに使えばいい」。
縦に縮む布を、90度回転させて縫う。すると、丈方向には縮まなくなる。そして縮もうとする方向(今は横)には、脇に縦方向のリブ編みのマチ(ガセット)を入れて、伸縮で吸収させる。
これが、リバースウィーブの正体である。布を回す。たったそれだけ。だが誰もやらなかった。
縮まないスウェット。肩を大きく動かしても突っ張らないスウェット。何度洗っても形が崩れないスウェット。フットボール選手の練習着としての要件を、たった一つの「布の向きを変える」という発想で同時に解決したこの製法は、1952年に米国特許として正式に認められ、以降85年以上にわたって Champion の代名詞となり続けている。
我々が古着屋で「RW」のタグに執着するのは、この「布を回す狂気」が今も同じ製法で再現されているからなのだ。
ミシガンの雪原から、ブロンクスのコンクリートへ
第二次大戦中、Champion は米軍の体育服・トレーニングウェアの主要供給元となる。戦後、復員した若者たちが大学に戻ると、母校のロゴが刺繍された Champion のスウェットは、カレッジ生活そのものの象徴となった。1950〜60年代、Champion の単色刺繍ロゴは、NCAA のあらゆるチームの胸を飾った。

そしてここから、誰も予想しなかった逆説が始まる。
1970年代、ニューヨーク市ブロンクス区。スポーツとは無縁だったはずの少年たちが、地元の高校や、行ったこともない有名大学のロゴが入った Champion のスウェットを、古着屋やスリフトショップから漁り始めた。彼らがレコードを抱えて公園に集まり、後にヒップホップと呼ばれる音楽を生んだ最初の世代である。
PRO-Keds のロイヤルが、ブロンクスのバスケットコートで「オリジネイターのスニーカー」となったのと、まったく同時代・同地域・同階層の現象だった(※当時のヒップホップ草創期のドキュメントには、PRO-Keds と Champion を同じシーンで着用した複数の証言が残されている)。
スポーツのために作られた服が、スポーツをしない若者たちの「ストリートの正装」になった。これは、軍用の編み上げブーツがファッションになったドクターマーチンや、フランスの兵士のためのデザートブーツがアイビーに転用された歴史と完全に同じ構造である。
機能のために作られたものは、機能を超えた瞬間に、文化となる。
1980年代以降、Champion のリバースウィーブは Run-DMC、Beastie Boys、LL Cool J らヒップホップアーティストの定番衣装となり、90年代には日本の「裏原宿」「アメカジ」ブームで聖典となった。FUDGE、Boon、Hot-Dog Press の誌面で、我々40代は Champion の「90s後染めスウェット」に憧れた。
足元の PRO-Keds と、上半身の Champion。同じ時代、同じ街、同じ若者たちが選んだ、アメリカン・スポーツウェアの黄金コンビが、ここに完成していた。
足元にPRO-Keds、上半身にChampionを纏え

40代の男が、休日の朝にPRO-Keds のロイヤルアメリカに足を通すとき。その上半身に、リバースウィーブのスウェットを着るとき。
足元のキャンバスには、1839年にコネチカットの借金まみれの発明家がストーブの前で掴み取ったゴムの執念が宿っている。そして上半身のスウェットには、1920年代のロチェスターで凍えるフットボール選手のために、布を90度回した一人の技術者の狂気が宿っている。
我々は、ただスニーカーを履き、ただスウェットを着ているのではない。100年前のニット工房と、19世紀のゴム実験室で、同時に灯された二つの執念を、自分の身体の上下に纏っているのだ。
足元に PRO-Keds を置き、その上に Champion を着ろ。
それは、アメリカン・スポーツウェアの始祖が組んだ、最も誠実な「上下のセットアップ」である。そして、我々40代がコッソリと誇る「過剰でない品格」の、最終回答でもあるのだ。
