ステージ4がんを治療しなかったら……
ふと、昨年8月に見つかったがんが、そのときに見つからなかったり、治療を行わなかったら、今頃、どうなっていたかを知りたくなり、推定してみた。
2025年8月に見つかったステージ4胃がんをまったく治療しなかった場合、2026年7月11日現在、かなり厳しい状態になっていた可能性が高い。具体的には、すでに亡くなっていた可能性もあり、生存していたとしても、強い体重減少、食事摂取困難、疼痛、貧血、リンパ節増大による圧迫症状、全身衰弱などが現れ、進展の仕方によっては、腹水、腸閉塞、黄疸などを来していた可能性もある。
数字でいえば、未治療の進行・転移性胃がんの生存期間中央値は、文献上おおむね3〜5か月程度、または、無治療ではなく、緩和ケア中心の最善支持療法のみで5か月前後とされることが多い。2025年8月診断から現在2026年7月までは約11か月であるため、無治療であれば中央値を大きく超えている。したがって、一般統計に照らせば、病勢が大きく進行し、死亡していたか、重い症状を伴う状態になっていた可能性が高いと推定するのが妥当だと思う。
昨年8月にかかりつけ医に背中まで突き抜ける胃の痛みを訴えた。腹部CTと胃カメラで『様子の悪い腫瘍』が見つかり、がん専門病院を紹介された。そこでがんの告知を受け、治療を開始し、現在に至っている。
もし、あのとき、忙しくて、クリニックに行っていなかったら、その後数か月のうちに痛みや貧血、食事摂取困難、体力低下が進み、仕事を続けられない状態で受診していたかもしれない。その時点では全身状態が悪化し、病変の広がり方によっては、腹水や腹膜播種、多臓器障害などを伴い、積極的な治療を始めることが難しくなっていた可能性もある。
運命は不思議だ。8月にクリニックに行く時間があったのは、大学教授だったからで、1か月半の夏休みの最中だったからだ。以前のように外資系企業で働いていたら、忙しくてクリニックに行っていなかった可能性が高い。そして、20年前に大学教員になろうとしたのは、この外資系企業で東大の先生に出会ったからだ。そこから社会人大学院を経て、大学教員になり、業績をあげて教授になった。
がんに罹患した後も日本有数のがん専門病院にかかることができ、ペムブロリズマブを含む当時の標準的治療を受けることができて、治療が奏功し、遠隔リンパ節病変が画像上ほとんど分からないほど縮小し、3年後、5年後の生存の希望が見えてきた。
人生にはさまざまな分岐点があって、その分岐点に立ったときに、どれを選ぶかによって、その後の人生が大きく変わる。こう書くと、多くの人は、一本道の終点にY字の分岐点があるイメージを思い浮かべるが、そうではない。一本道と思える道は、実は途中に多くの路地につながっている。しかし、多くの場合、その路地は見えにくく、見過ごされている。そこにチャンスがある。
私の場合、大学教員になるために社会人大学院に行ったのだが、事前に進学先を調べ、当時の競争倍率が1.1倍だった経済学研究科の修士課程を見つけ、そこに進学した。その大学院で学び、研究業績を積んだことが、後に大学教員を目指すための基盤となった。
進む方向を考えず、目の前の仕事だけにがむしゃらに取り組んでいたら、大学院に行くことも、大学教員になることもなかったと考えている。大学教員は狭き門であり、一つのポジションに多数の応募者が集まることも珍しくない。希望を叶えるためには、がむしゃらな努力ではなく、適切な準備が必要だ。
人生を変えるのは、目の前に突然現れる大きな分岐点だけではない。日常の中にある小さな路地を見つけ、そこへ入る準備をしておくことが、何十年後かの生死さえ左右することがある。もちろん、人生は本人の選択と努力だけで変えられるものではなく、偶然や環境、制度に左右される。それでも、自分の近くにある小さな路地を見つけ、その先へ進むための準備をすることはできるかもしれない。
人生に迷っている人は、立ち止まって深呼吸して、周りを見回そう。誰も見向きもしていないものが宝物に見えるかもしれない。その宝物をどう生かすかを考えてみて、準備をして最善と思われる方法を試してみよう。人生が変わるかもしれない。20年前に入った小さな路地の先で、私はいま、ステージ4がんの治療を受けながら生きている。
