「民主主義」という大誤訳の弊害
奥山真司も「民主主義」という大誤訳の問題性に言及していた。
―cracy, ―archyは「―の政治的意思に従う政治(体制)」の意味なので、democracyなら民衆政(制)や人民政(制)になる。
デモクラシーという言葉は、demosとcratiaから出来ている。このdemosが「民衆、大衆」を意味し、cratiaが「支配体制」を意味する。だから、デモクラシーは民衆一人ひとりの1票から作られる政治体制である。デモクラシーはイデオロギー(イデアのロゴス)ではない。だから×民主主義は誤訳だ。〇民主政体が正しい。
👇では古代ギリシアの"form of polis government"としてmonarchy、aristocracyと並べられていることからも、democracyが「主義」ではないことが分かる。
From the sixth to the third century BC changes in the form of polis government – from monarchy to aristocracy, from aristocracy to democracy – did not reduce the authority of the city-state over its members.
誤訳が広まった経緯はこう👇いうことらしい。
デモクラシーは日本では民主主義と訳された。この場合の主義は、政治原理といった意味に狭く解釈されてしまった。資本主義、社会主義の「イズム」と混同されることもある。民主主義という訳は、あらゆる訳語の中で、恐らく極め付けの失敗作だろう。金科玉条のように奉られては、衆愚政治にも変質しかねないデモクラシーのもろさが覆われてしまう。
企画報道室 石井康雄
デモクラシーは民主制、民主政体のことで、君主制(モナーキー)、貴族制(アリストクラシー)などと対比される。イズムではないのに、民主主義の訳が広まったのは、「主義」と訳された原語が二つあるためだ。
主義は当初、プリンシプル(原理、原則)の訳語に用いられていた。デモクラシーを「政治の原理」ととらえ、主義を当てた。ところが、主義は程なくイズムの訳語にも転用される。今では、こちらが母屋になったため、錯覚を招く。民主制や民主政治の訳で差し支えなかったのに、意義を強調する特異な用語として残った。
企画報道室 石井康雄
―cracy, ―archyがシステムなら、ismはシステムに込められた理念(魂)に相当する。
👇は『ソヴィエト・デモクラシー』の序からで、何とも分かりにくい内容だが、
現在では民主主義は自由主義的民主主義と同義とみなされがちだが、民主主義と自由主義は異なる理念である。歴史上、両者の矛盾や対立に関する指摘も少なくない。ソ連の政権も自由主義を否定し、それ故に自由主義的民主主義を「偽りの民主主義」と批難したが、民主主義は重視していた。書名に掲げた「ソヴィエト・デモクラシー(Советская демократия, Soviet democracy)」(以下、「ソヴィエト民主主義」と記す。)とは、ソ連の政権が「真の民主主義」と主張した「非自由主義的民主主義」である。この主張の当否については争いがあったが、自由主義的民主主義とソヴィエト民主主義(または社会主義的民主主義)という二つの民主主義が存在するとの認識は20世紀半ばの世界に広く存在した。
👆の「民主主義」をデモクラシーに戻して「民衆の総意を反映した政治(体制)」だとして読むと、途端に意味が明瞭になる。西側は自由重視だが東側は平等重視なので、同じデモクラシーというシステムでも構成と挙動には大きな違いが生じたわけである。
現在ではデモクラシーは自由主義的デモクラシーと同義とみなされがちだが、デモクラシーと自由主義は異なる理念である。歴史上、両者の矛盾や対立に関する指摘も少なくない。ソ連の政権も自由主義を否定し、それ故に自由主義的デモクラシーを「偽りのデモクラシー」と批難したが、デモクラシーは重視していた。書名に掲げた「ソヴィエト・デモクラシー」とは、ソ連の政権が「真のデモクラシー」と主張した「非自由主義的デモクラシー」である。この主張の当否については争いがあったが、自由主義的デモクラシーとソヴィエト・デモクラシー(または社会主義的デモクラシー)という二つのデモクラシーが存在するとの認識は20世紀半ばの世界に広く存在した。
こんな大誤訳が放置されているのは政治学者たちの怠慢で責任問題だと思うのだが。
付記
奥山は「イズムなら韓国の方が『民主主義』が根付いている」と言っているが、デモクラシーの魂が大衆迎合になったものが民主"主義"なのでその通り。
所詮、民主政はポピュリズムにすぎません。民主政は基本的にはポピュリズム、つまり多数者である民衆による支配ですが、それがましな方向に向いていけばまだいいでしょう。しかし、民衆の独善的意見や欲得に流されてしまうと、それは否定的な意味でのポピュリズム、大衆迎合主義になってしまいます。
