希望を捨てた後に残るもの
好きの反対は嫌いではなく、無関心であるのと同じように
希望の反対は絶望ではなく、無の状態。いいかえれば平穏の状態とも言える。
幸せの反対は不幸ではなく、幸せではないというだけの状態
希望に満ちるのは活気がある。希望は行動を起こす原動力になる。
世間ではそれを良しとするバイアスがある。
活気が良ければ経済が回る。
経済が回れば収入が増え、欲しいもが手に入る。やりたいことができる。
でも、欲しいものや、やりたいことって、そういう選択肢があるから選びたがるのだろう
最初から選択肢がなかったら?
存在しないものを買うことはできない。
存在しない場所に行くことはできない。
人の心は、変化した時に感情が動く
微分である
何かを得れば嬉しいと思うし、失えば悲しいと思うが、時間が経てば感情は薄れる
傷つきたくないから人と関わるのを避け引きこもるのは、悪いこと?
なんで?
動けば動くほど事態が悪化することを経験から学んでいれば、動かぬ方が最善の策と思うだろう
不幸とは?
100万円を持っていた人が運用に失敗して、全財産が1万円になること
幸福とは?
100円しか持ってなかった人が運用に成功して1万円をを手にすること
1万円の価値は同じ
でも本人の感情は正反対
逆の可能性は
100万円を持っていた人は、1億円にすることができた
100円しか持っていなかった人は、1円になってしまう可能性があった。
今、生きているということ
天災や事故や病気で死なずに生きているということ
感謝しないといけないらしい
でも正直
死んだら意識は消滅すると思っているから
どうでもいい
しにゆく過程が嫌なだけ
ほとんどの人は目が見えている
だから見えるものを欲しいと思う
ほとんどの人は音が聞こえている
だから音楽や楽しい話を聞こうとする
目も耳も見えない人は、何を楽しみに生きている?
目が見えず耳も聞こえないヘレン・ケラーはかなり多趣味な人だったと言われている。
最も好きな趣味はセーリングで、風や波を身体で感じて楽しんでいた
編み物やかぎ針編み、チェスやチェッカー、散歩、二人乗り自転車、犬と過ごすこと、読書などを楽しんでいた
我々は、自分の認識できる範囲でしか快楽を感じ得ない。
希望を失った後に残る平穏は、絶望の最中にいる人が欲しがっているもの
もとより希望とはつかみどころのない幻想に過ぎず、失うという概念を当てはめるのもおかしい
「モノ」が「在る」状態から「ない」状態に変わるということは、そこに新たな「空間」が発生するということ
桜の花がおちていたから、はるだと気づく
水があるから、雲ができる
「希望がない」状態が「在る」から、その人にとって、その人から見える別の大切なものをいれる「空間」が「在る」
ここでお知らせというか宣伝です。
ChatGPTを使い、テイルズオブシンフォニアのキャラクター達にテーマを与え対談させるマイGPT(カスタムGPT)を作りました。その対談結果を置いているホームページを作ったのでリンクを置いておきます。
もしよかったら、一度ご覧ください。
https://www.fanmade-ai-conversation-logs.com
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