最後の講義 なぜ人は背景を無視するか?

人とのコミュケーションや講演などで、過半数以上の人が自分にとって都合の良い飴玉だけを取りすぎだと思う。
そこによる弊害は言及者との空間的感覚の差だ。それはまるで別部屋からスピーカーから聞いてるかのようなものだ。捻じ曲がる

また、その人たとえばspeakerの包含してる範囲や、バックグラウンドを注視しなければ、再現なのは不可なのになるほどこうやってもってこればいいのね〜とか、頓珍漢なことやってるとアホらしくて頭痛くなる。

実際にあった例として、Eテレで最後の講義で三國シェフが講談していた。だが事前での聴講者の聞き取りで、三國シェフに対して今の時代に調理師(その人は調理師希望)に求めていることを聞きたいと言っていた。おそらく義務感的なものもあるのかなぁと思った。

俺も最後までまだ見てないので三國さんに関して詳しくないが、だって日本人で総スカン喰らってアメリカにラブコールもらってそこから立場が逆転した人だ。
そんなもの当時、分かった上(流行や求められること)無視して突っ走ってたのだから、少なくとも調理師目指すくらいなら講師の経歴や思想は少しぐらい知っといてもいいんじゃないか?と思った。

これはただ画面外から石を投げ込んでるんではなく、私は表現者、アーティストとして戦っている。その上で、憤りを非常に感じた。
今に求められてる音楽?映画?アート?小説?
それに応えるのもプロだ。
だが、敢えて言いたい❗️
そんなことは四流以下にやらせておけばいいだろうと。
あーいらいらする。
くそっ
おわおわり