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自分を表現するのにとても便利な時代になった

「自分を表現するのに、なんて便利な時代になったのだろう」って、朝散歩しながら思いました。

簡単に、誰でも、手軽に、アウトプットできるようになった時代に対して、今日は考えてみます。



発信するための承認は必要か?

かつての発信は、選ばれた一部の人たちだけの特権でした。

例えば、新聞やテレビを通しての、学者、小説家、ジャーナリスト、芸能人、アーティストなどの著名人だけ。作品を世に出すには、出版社やテレビ局などの許可が必要でした。

私はかつては会社員でしたので、業務として発信することに携わりました。社内通達でさえ、一人で決定することはできず、チーム員や上長承認が必要です。

社外への情報発信に至っては、広報や法務、コンプライアンス遵守をすべてチェックする必要がありました。

ところが現代は、スマートフォンひとつで、誰もが世界に向けて「私はこう思う」「私はこんな人間です」と発信できます。ブログ、YouTube、X、Instagram、TikTokなどのSNSを使って。

写真も動画も言葉も、誰かの審査を待つことなく、たった1クリックで世に出せる時代です。この環境は、とても素晴らしいと思います。なぜなら、人からの承認なしに自分の言葉を持てる人が確実に増えたからです。

承認ではなく、共感を求める時代へ

発信する人が増えたことで、評価の軸も変わってきました。かつては「いかにすごいか」「いかに優れているか」をアピールする場だったSNSも、いまは「共感できるか」「一緒に歩んでいる感覚があるか」が重視されるようになってきている気がします。

完璧な人生を見せるよりも、不完全さや迷いを見せる方が、人の心を打つ時代。SNSで人気のある投稿には、等身大の魅力が詰まっています。飾らずに、自分の経験や思考を丁寧に言葉にすることで、「それ、わかる」「私も同じ」といった共感の輪が広がっていきます。

私個人的には、できないことの共感だと何の変化も生み出さないので大嫌いです。

しかし、一般的には、できない自分と同じ人のコメント読むことで、自分だけができないわけではないことに、安心してしまう共感がウケがいいようですね。


表現にはリスクもあるけれど

とはいえ、便利になったからこそ、表現することのリスクも同時に増しています。たとえば炎上とか。最近では「チョコプラ松尾の大炎上」など。

たったひとつの投稿や発言が、意図しないかたちで拡散される可能性もあります。見知らぬ誰かからの否定的なコメントに、心が傷つくこともあるかもしれません。

私も何度かアンチコメントが書き込まれて経験があります。その度に、かなり傷つきます。反論せずにスルーするようにしていますが、モヤモヤは残ります。

だからこそ、表現には覚悟も必要です。すべてをさらけ出すのではなく、「何をどこまで見せるか」「なぜそれを発信するのか」を自分で選ぶ力が求められています。

会社員としての発信の責任は、会社がとってくれますが、個人としての発信は自分で責任を取る必要があります。丸刈りにするのが責任の取り方なのが、やや疑問はありますが、責任所在の違いをしっかり認識しておく必要がありますね。

表現することは「他者との対話である」という意識も大切です。自分の日記を公開しているスタイルの私のnoteですが、どんなに個人的なことでも、それをネット上に出した瞬間から、それは社会とつながることを感じています。

まこさんnoteを読んでくれた読者との会話

まこさんnoteを読んでいただいている方に、初対面で直接会う機会が度々あります。

「まこさんnoteを読んでいると、表現がストレートすぎて、とてもキツく感じます」
「まるで、行動できない私に向かって怒鳴っているみたい」
とコメントをもらうことがあります。

もちろん、初対面なので、その人に向かって書いているわけではないことはコメントしてくれた方もわかって話してくれています。

さらに、
「まこさんは、noteを読むかぎり、とても厳しい人だと思ったので話しかけるのが怖かった」とまで言われました。

「実際に、まこさんは、話すととても優しい人で安心しました」(←実話です)と嬉しい言葉をいただけて、勇気を持って話しかけてくれたことに感謝しました。

私は相手が傷つくかどうか察するスキルがありません。感受性がとても低いです。そのため言葉選びが下手。ご了承ください。しかし、正直者なので、表現がキツいですが、偽りない言葉で書いています。

発信する言葉には、誠実さと責任が求められると感じています。

「表現=正解」ではなくていい

表現とは、正解を出すこととは考えていません。誰かの答えをなぞることでも、誰かを打ち負かすことでもありません。むしろ、「自分なりの問いを持ち続けること」こそが、表現の本質だと思います。

ある日ふと思ったこと。
誰かとの会話の中で気づいたこと。
本を読んで心が動いた瞬間。
何気ない疑問への自分なりの回答。

そんなささやかな体験を、言葉にして、外に出してみる。すると、同じように感じていた誰かが反応してくれる。自分の感じたことは、誰かにとっても意味があるのかもしれない。

その実感こそが、表現を続ける力になります。


発信は未来の自分への贈り物

今、私がnoteに書いているこの文章も、誰かのためであると同時に、未来の自分への記録であり、贈り物でもあります。

誰かに届けるためというより、自分をもっと深く理解するために、3年間かけて700記事、130万文字を書いてきました。

今どんなことを感じているのか。
どんなふうに世界を見ていたのか。
数年後、読み返したときに、思い出せるように。

自分を表現するということは、過去の自分を見つめなおし、未来の自分との対話でもあるのだと思います。自分を表現できる今という時代に感謝しています。


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まこさん NPO法人DaredemoHeroへ寄付します。 私の人生に大きな転機となった団体で里親支援を続けています。 子どもたちの教育資金に活用させていただきます。あなたのチップをお届けします。ご協力お願いします! ホームページ→ https://daredemohero.com

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