定年まで働くのは当たりなのか?
日本において、定年まで勤め上げるということは、社会人として果たすべき絶対的な条件らしいですね。
多くの人が、20代で就職してから60歳、あるいは65歳の定年を迎えるまで、同じ会社や組織の一員として働き続けることを当たり前の人生設計として信じて疑いません。
なんで?
その背景の理由を調べてみると、下記のように、定年に関しては法律で規定されていました。
「事業主が定年を定める場合は、その定年年齢を60歳以上としなければならない」
へ〜決まっていたんですね。
さらに、今や70歳までの就業機会確保が努力義務まで盛り込まれています。国や企業が一体となって高齢になっても働ける環境を整備していると言えば聞こえは良いです。
でも裏を返せば、これは国が敷いた長く働き続けるための強固なレールだよね。税金を払い続けるために、働き続けろって法律にも見えてきます。
こんな社会制度の中にどっぷりと浸かっていれば、日本人として、65歳、70歳まで働くのが当たり前という価値観を持つようになるのは、ある意味で必然と言えます。
制度が人の意識を作り、その意識が常識という同調圧力を生み出している構図なんですね。
幼少期の刷り込み
私が働くことに対する独自の価値観を形成するに至った原点は、幼少期に過ごした家庭環境にあると思っています。私の両親は、物心ついた頃から小さな町で自営業を営んでいました。
父はことあるごとに、
「自営業には定年がないから一生働けるんだ。サラリーマンは55歳や60歳で定年なんだぞ。だから、一生働き続けられる自営業こそが一番安心なんだ」
父のこの口癖は、幼い私の心に深く植え付けられました。
しかし、成長するにつれて、私は父の語る一生働く美徳に対して、違和感と反発を覚えるようになります。
父の人生観の根底にあったのは、人生とは苦労するものであり、我慢を重ねるべきものだという昭和型の忍耐哲学でした。
贅沢はしてはいけない、目立たず、ひっそりと生きるのが美徳だと言い続けられる日常でした。
そんな中で、私は正直なところ、そんな窮屈な人生は嫌だな〜、父親のような生き方だけしたくないと強く思うようになりました。
今、冷静に当時を振り返ると、私の両親が持っていた情報や視野は、あまりにもちっぽけで、限定的なものでした。
町内の信号機が数えるほどしかないド田舎で暮らし、車も持たず、遠出をすることもない。
外食や旅行はいっさいなく、飛行機に乗ったこともなければ、当然、外国の文化に触れたこともない。
そんな狭い世界の中で完結している人の常識は、反面教師となり、私の行動パターンを変化させる原動力になりました。
財閥系大企業からの脱出
大学を卒業した私は、日本の伝統的な価値観を象徴するような、財閥系の安泰な大企業グループに就職しました。
周囲からは、これで一生安泰だと祝福され、親も大いに安心したことでしょう。
大きな転機が訪れたのは、結婚してわずか3ヶ月後のこと。私は、当時まだ日本では誰も名前を聞いたことがないような、知名度の低いアメリカ企業への転職を決意したんです。
この決断は、両家の両親にとってはまさに青天の霹靂であり、常識破りの暴挙に映ったはずです。
もし事前に相談していれば、猛反対を受けることは火を見るより明らかでした。
だから、誰にも相談せず、すべてを独断で進め、事後報告という形で転職を強行しました。
当時の私は、父親への反発心に満ちており、親のアドバイスなど聞く耳を持っていませんでした。
父もまた、やることなすこと自分の範疇から外れていく息子に対して、あきれ果てて口出しをしなくなりましたが、決していい気持ちではなかったはずです。
しかし、この親の敷いたレールからの逸脱こそが、私の人生を大きく変えて、多様性を知るキッカケとなりました。
アメリカ企業でのパラダイムシフト
転職したアメリカ企業は、それまでの日本の常識が180度覆される刺激的な空間でした。
職場には多くの外国籍の同僚が在籍しており、彼らのキャリアに対する姿勢は、私に強烈な価値観の変化を与えてくれました。
定年がない国の人は、働き続けるのも自由だし、早期退職するのも自由なんです。
いかにも、自由の国って感じです。日本人が全く持っていない、自分の人生を自分の意思で選択する責任感があるんです。
だから、自らの人生プランに基づいて、ごく自然に、そして自発的に会社を辞めていきました。
一人の外国籍の同僚が、退職を前にして私に自分のセカンドライフの夢を語ってくれました。
「会社を辞めた後はね、広い土地で羊を放牧しながら、のんびりと暮らすつもりなんだ」
羊の放牧という、日本ではまず耳にすることのないワードを聞いて、当時の私は正直、すぐにはピンときませんでした。
しかし、彼が語るその穏やかな表情から、自分の将来について真剣に考えていることだけは雰囲気で感じ取りました。
このダイバーシティに満ちた環境での経験を通じて、私の心には新しい価値観が深く植え付けられました。
企業に退職の時期を決められる必要なんてない。自分の人生の引き際は、自分で決めていいんだという確信です。
日本の常識とアメリカ企業の常識の間にある大きなズレを肌で感じ、父の狭い価値観を反面教師としながら外の世界で多様性を学んだことで、私の定年信仰はなくなりました。
父の死と呪縛からの解放
その後、私は56歳という年齢で、定年を待たずに自らの意志で早期退職を選びました。早期退職とは人生を自分で考える力の表現なのです。あまり早期退職とは呼べませんが決断できたことは、セカンドライフのスタートとしては上々でした。
早く会社を辞めたい、自分の人生を生きたいと願いながらも、退職の意思が出てから8年間も在籍しました。そして、私が最終的に56歳まで会社員として居続けたことには、一つの不思議な巡り合わせがあります。
実は私が早期退職に踏み切ったのは、あれほど私に反発され、そして私が反面教師としてきた父親が老衰で他界した、わずか1ヶ月後のことでした。
20代の頃に親の元を離れ、外資系企業で多様性を学び、自分の価値観を確立したつもりでいましたが、今になって冷静に振り返ると、私の心の奥底には、やはり父親の影が微かに残っていたのかもしれません。
定年まで、あるいは一生、頑固に働き続けるべきだと言い張っていた父の強烈なエネルギーが、見えない錨となって、私の足を会社に留まらせていたのではないか、と。
父の死によって、私はようやく、父への反発という名の執着からも、無意識の刷り込みからも、本当の意味で解放されたのかもしれません。
かつて父が私に植え付けた一生働くという価値観は、形を変え、今では自分の意志で時間を自分で選び取るという豊かな生き方へと変化できました。
父の人生を反面教師としながらも、その存在に深く影響を受けていた自分を思い出しながら、いま、このnoteを書いています。
ド田舎で高齢の母親と一緒に、亡き父親の思い出話を先日したので、今日はこんなnoteを書いてみました。
自叙伝です↓
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