アウトプットの怖さ、恥ずかしさの解消
友人たちと、私がとてもじゃないけど聞かせれるレベルではない、ひどい弾き語りのギター弾き語りの演奏をYouTubeにアップしたことについて話しました。
なぜ、人前で恥ずかしいと思えるレベルのものを、あえて公開したのか?
今日は、この「アウトプットの壁」について、長年会社員として働いたビジネスパーソンとしての経験や、自己成長の場で学んだことを交えながら、考えてみます。
どうして自信がないファッションセンスで街に出るの?
これは、私が会社員時代に受けた、ある印象的な研修のエピソードです。自信がなくて発言できない一人の参加者女性が、トレーナーに「アウトプットが怖い」と相談したときのことです。
トレーナーはこう切り返しました。
「あなたはファッションに自信がありますか?」
女性は「全くありません」と答えます。
「では、その自信ゼロの服装で、よく恥ずかしげもなくこの会場まで来られましたね?」
トレーナーが伝えたかったのは、自信がなくても人は平気な顔で行動している。それなのになぜ、企画や意見を発言すると急に怖くなるのか、ということでした。
私はこの話が妙に腹落ちして、その後、部下が「プレゼンが下手で恥ずかしい」と相談されると、「よくその低いレベルの話し方で私に声をかけたね。恥ずかしくないの?」
と、あの研修の言葉をそのまま返したものです。もちろん愛のムチとしてアドバイスの一部ですよ。
トレーナーが伝えたかったことは、アウトプットを拒むのは、自信のなさではなく、「保身」や「人の目を気にする気持ち」ではないか、という指摘でだったのです。
「自信がない」は単なる保身
私が下手な弾き語り動画を公開したことを正当化したいわけではありません。しかし、多くの人が「自信がないとアウトプットできない」と言うのは、単なる言い訳であり、保身に回りすぎて活動を停止している状態だと考えます。
これは、他人の目を気にしすぎて、自分の可能性を自ら閉ざしていることに他なりません。成長を止める最大の壁はアウトプットをしないことなんです。
そもそも、自信なんて、アウトプットしなきゃつくわけがありません。
野球の試合でヒットを打つ自信がない人に、「バッティング練習を一緒にしようよ」と誘っても、「人に見られるのが恥ずかしいから練習もできない」と言っているのと同じです。
練習(アウトプット)なくして、成長(自信)は絶対に得られません。
それに「100%の完成度」を待っていたら、いつになったら世に出せることやら。アウトプットは、完成品を出すことではなく、成長するためのプロセスそのものなのですから。
アウトプットを拒否した受講生
以前、参加した自己啓発コミュニティでの出来事です。数ヶ月かけての研修プログラムです。進行役は「どんどんアウトプットしましょう」と参加者をけしかけていました。
会社員であれば、同僚の視線や評価への影響、これらにより恐れる気持ちは理解できます。しかし、利害関係のない自己研鑽のためのセミナーです。そんな中立的で安心な場でさえも、頑なにアウトプットしない人がかなり存在しました。
特に印象的だったのは、数ヶ月の間、一度も成果物を公開しなかった女性です。
彼女にその理由を尋ねると、「私はアウトプットをしなくていいよ」と、笑いながら断言しました。アウトプットする能力がないことを自覚しながら、同時に「自分を開示する必要もない」と達観していたのです。
大金を払って入会したにもかかわらず、その最大の機会を自ら放棄する。これは、失敗への恐怖や自己開示の恥ずかしさが、成長意欲を完全に上回ってしまった状態の典型例なのでしょう。
アウトプットがもたらす最大のメリット
私は以前から、自分の合格ラインを極めて低く設定するタイプです。そのため、あっけなく自己開示も自己アピールも、恥ずかしげもなく話してしまう傾向があります。
これは、外資系企業で働いた経験も一つに理由です。アメリカ資本の会社では、パフォーマンスを公開することが評価に直結します。「奥ゆかしさ」や「黙っていても人がわかってくれる」文化は皆無。自分からアピールしてナンボの世界でした。
失敗しても減点されることはなく、チャレンジ精神は加点対象となります。その評価基準が公開されているにもかかわらず、恥ずかしさや自己開示の拒否によって、自己成長にブレーキをかけている人は多くいました。
しかし、私の経験上、外に情報を出すことには、計り知れないメリットがありました。
まずは仲間が増えます。低いレベルでもアウトプットすれば、同じ環境でもがいている人や、それをサポートしてくれる人が集まります。
そして情報も増えます。 自分の考えや成果物を開示することで、フィードバックや関連情報が自然と入ってきます。
それらによって自動的な自己成長がうながされます。 アウトプットして恥ずかしいレベルを続けるのは、本人にとって辛くなるものです。その辛さが、自然と努力を促し、自己成長の原動力となります。
人って、他人の失敗したときの話は案外すぐに忘れてしまうものです。他人が覚えているのは、最終的な成果物だけなんです。恥ずかしいと思っているのは、その人本人だけで、他の人から見て大したデメリットにはならないことがほとんど。
自信がないという感情は、他人の評価ではなく、単なる自分の保身なんですよ。人からよく思われたい心理から、開示しないで隠す行動に出るんだと思いますが、隠している方がカッコ悪く見えるけどな〜。
恥を乗り越え、次のステージへ
私がへたくそな弾き語りをYouTubeに公開したのは、ギター教室で講師に「録音して確認して」と何度もアドバイスをもらっていたことに端を発します。今回それをYouTubeに保存して記録用に残しているだけの話なんです。
アウトプットのレベルが低くて恥ずかしいと感じることは、今の自分には、まだ成長の余地があるという未来への希望の証です。その感情を燃料に変え、行動を起こすことで成長できます。成長しなくても変化はできます。
変化することって楽しいので、それだけでいいじゃんと言うのが本音です。自分だけ楽しけりゃそれでいいんだから。
完璧主義と完了主義
うまく表現しているイラストを見つけました。

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