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主語を「私」にすることの大切さ

日常の会話や議論の場で、「私たちは」「我々は」という言葉を頻繁に使う人を見かけることがあります。まるで自分の意見が多数派の意見であるかのように装い、あたかも周囲の人々を巻き込むかのように発言しているようです。

主語を「私は」で始めない人について考えてみます。



「私たちは」で話し始めたり、政治家のように「我々国民は」で話し始める方法は、一見すると説得力があるように思えるかもしれませんね。みんなの意見をまとめた代表者みたいですよね。

でも、実際には、自分の意見に自信がないがゆえの逃げの姿勢であることが多いじゃないかと感じます。


「私たちは」を多用する心理

「私たちはこう思う」「我々はこうすべきだ」と主張する人の心理には、いくつかのパターンが考えられます。

一つは、自分の意見に自信がなく、個人の考えとして提示するのが怖い場合です。「私がこう思う」ではなく「私たちがこう思う」と言うことで、あたかも自分の意見が多数派のものであるかのように見せ、批判を避けようとします。

もう一つは、相手に反論の余地を与えないための戦略です。個人の意見であれば、西村ひろゆき風に「それはあなたの考えですね」と反撃されるので、それを避けているのかもしれません。

しかし、「私たちはこう思う」と言われると、「あなたたちって誰?」と他に誰が言っているのか気になります。曖昧な「私たち」という表現は、意見の責任を拡散し、個人としての立場を曖昧にする効果を持つかわりに、メッセージ浸透は弱くなる気がします。

「それはあなたの考えですね」って言われれたら、「はい、私の意見です!」 と言い返せるくらいの発言の方が、突飛な内容でも、私は個人的には好きです。

「私」を主語にする勇気

自分の意見をしっかりと持ち、「私はこう思う」と堂々と言えることは、とても大切なことです。意見は個人のものであり、集団の意見のように見せかける必要はありません。

むしろ、「私はこう考える」とはっきり言うことで、自分の考えに責任を持ち、相手にも誠実に向き合うことができます。

「私たち」を多用する人の中には、「みんなもそう思っているから間違いない」という態度で、あたかも大多数の意見を代弁しているかのように振る舞う人もいます。

特に、「我々国民は」「日本人として」などの表現には注意が必要です。国民全員が同じ意見を持っているわけではありませんし、一個人が国民全体の代表であるかのように発言するのは、非常に傲慢な態度です。

「普通は」で話し始めたら、普通ってなんだよ?って疑問が浮かび話が全く届かなくなります。

政治家は確かに選挙で選ばれた人たちですが、国民を代表しての発言より、「私は」で話し始めて、自分の意見をはっきり言ってほしいものです。

無能な上司:自分の意見を自分の言葉で言わない人

議論の場では、「私はこう思います」と明確に伝えることが、誠実であり、知的な態度でもあります。もちろん、他の人の意見を参考にすることは大切ですが、それをそのまま「私たちは」と一般化するのではなく、自分の解釈を加えた上で発信するべきです。

会社員には上司がいます。その上司にも上司がいます。2階級上の上司が、私の上司にmust指示が発せられて時、私の上司がどのようにチーム員に発言するかで、その人の技量が図れます。

自分のチームにとっての目的を明確にして「私は」で始める話し方をするのか? それとも伝書鳩のようにそのままコピーを部下に話すのか? もちろん前者が優秀な上司で、後者は無能な上司です。

無能は上司とは、会社に飼われている忠実な「犬」なので、言われたことしかしないため、「私は」と言うことは決してありません。主語を言わないか、あるいは、「会社は」を主語にします。

自分の意見を持たないことが恥ずかしいとも思わないお気軽な人たちなんです。

上司自身の意見はどこにも存在しないので、チーム員が「この指示業務の目的はなんですか?」と聞いても答えることはできません。だって「犬」ですからね。

また、チーム員が「私の考えはこうですが、上司はどう思いますか?」と相手の意見を聞く姿勢を持つ優秀な部下たちに囲まれているからなんとかなっています。聞いたところで、上司は意見を持っていないので、部下たちの考えに頷くことしかできません。だって「犬」だから「ワン」しか言えない人たちですからね。

「私」を主語に話すことのメリット

「私は」という言葉を使うことで、自分の意見に責任を持ちやすくなります。また、相手に対しても誠実に伝わり、コミュニケーションの質が向上します。

逆に、「私たちは」を多用すると、曖昧な表現になりがちで、発言の責任がぼやけてしまいます。責任逃れをしたり、説得力を高めようとする意図が見え隠れすることもあり、信頼を失う可能性もあります。

セカンドライフを過ごす上で、周りの意見に左右されず、人がするから自分も真似するといった受動的な行動が減りました。

周囲を気にせず行動すると言うことは、すべてを「私は〇〇します」と断定して能動的に行動しているからです。責任を持って自分の人生を歩んでいる意識が強くなりました。

主語を言わなくても通じる日本語と、主語から始める英語の違い

日本語は、主語を省略しても通じる言語です。たとえば、「行きます」「知っています」と言えば、文脈によって誰が行くのか、誰が知っているのかが自動的に補われます。このため、日本語話者は主語を明示しない話し方に慣れており、意識的に「私は」と言うことが少なくなりがちです。

一方、英語は主語を明確にしないと意味が伝わりにくい言語です。「I think」「We believe」など、主語は一番前にきます。主語を必ず入れる構造になっています。

そのため、英語を話す人は自然と自分の意見を「 I 」で始める習慣があり、責任の所在が自分にあることをはっきりさせる文化が根付いています。

これに比べると、日本人は無意識のうちに主語を曖昧にする傾向があり、それが「私たちは」「みんなは」という表現の多用につながっているのかもしれませんね。

まとめ

「私は」を主語にすることは、自分の意見を明確にし、責任を持つために重要です。「私たちは」「我々国民は」といった表現を安易に使うことなく、個人の意見としてしっかり伝えることで、より誠実で建設的なコミュニケーションが生まれます。

責任を回避しようなんて姑息な話し方をしていると、いつの間にか自分の人生の責任さえも、自分中心ではなくなっちゃいますよ。

大事なのは、「私はこう思う」という自分の言葉で、自分の意見を堂々と話して責任を負うことだと思います。


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まこさん NPO法人DaredemoHeroへ寄付します。 私の人生に大きな転機となった団体で里親支援を続けています。 子どもたちの教育資金に活用させていただきます。あなたのチップをお届けします。ご協力お願いします! ホームページ→ https://daredemohero.com