インスタのリールから、43分のアルバムへ ——ビリー・アイリッシュ『HIT ME HARD AND SOFT』に殴られた日曜の午前


きっかけは、たまたま流れてきた一曲
家族がお盆で帰省していて、家に一人。日曜の午前、なんとなくインスタを眺めていたら「BIRDS OF A FEATHER」が流れてきた。
ビリー・アイリッシュ。名前は知っている。蛍光グリーンの髪でダボダボの服を着た、ちょっと不気味な曲を歌う若い子。数年前にMステで見た記憶がある。正直、「売れてるポップスター」という認識で止まっていた。
でもその曲が、やけに良かった。
明るいのに、どこか不穏。透明感があるのに、重い。引っかかりを覚えて、そのままアルバムを通しで聴くことにした。結果、その日の午前中が全部持っていかれた。
実は、一度すれ違っていた
書きながら思い出したのだが、自分は数年前に一度この人と出会っていた。『007/ノー・タイム・トゥ・ダイ』のエンディングだ。あれが彼女の曲だった。当時18歳、シリーズ史上最年少の起用。
その時の感想は「良い曲だな」で終わっていた。名前は残らなかった。
今思えば、あれは彼女の作家性が一番出にくい場所だったのだと思う。ボンドの主題歌はあの様式に寄せて書くものだから、オーケストラが入って、あの独特のコード感になり、誰がやっても「ボンドの曲」に着地する。しかもエンディングで流れる音楽は、アーティストの作品ではなく映画の一部として耳に入る。引っかからなかったのは、たぶん普通のことだ。
ただ、順番としてはむしろ良かったのかもしれない。あそこで深掘りしていたら『Happier Than Ever』止まりで、今日のように完成した3枚目を一気に浴びる体験にはならなかった。しかも今なら、次作をリアルタイムで待てる位置にいる。
——ということにしておく。
「こんな音楽性だったっけ」から始まった
まず驚いたのは、記憶の中の彼女と音が違うことだった。
デビュー期の彼女は、囁き声と歪んだシンセベースで不気味さを作る人だった。「bad guy」「bury a friend」。アコースティックな要素はほとんどなく、ほぼ電子音楽。ホラー映画的な質感が売りだった。
そこから2021年『Happier Than Ever』でジャズやトーチソング寄りの落ち着いた歌唱に振れ、2024年の『HIT ME HARD AND SOFT』で全部が混ざった。だから初期しか知らないと、明るく開けた「BIRDS OF A FEATHER」に面食らう。
歌い方そのものも変わっている。初期はほぼ囁き一択で、息だけで歌ってマイクゲインで持ち上げる方式だった。デビュー時17歳、寝室録音という物理的な制約もあったらしい。制約が様式になり、そこから抜け出した——という流れが、聴き比べるとはっきり分かる。
「Happier Than Ever」でロックを、「NDA」でNINを聴いた
前作を漁っていて手が止まったのが2曲。
「Happier Than Ever」は、前半が静かな弾き語りなのに後半で完全にシャウトへ振り切る。歪んだギターとドラムが入ってきて、声もエフェクトで潰れていく。あのアウトロ、レディオヘッドの『The Bends』〜『OK Computer』期の、美しさと破壊が同居した質感に近いと感じた。
そして「NDA」。あの歪んだ低音を執拗にループさせて、加工した声を薄く重ねる手つきは、完全にナイン・インチ・ネイルズの作法だった。音の隙間が異様に多く、鳴っていない部分の圧で聴かせてくる。歌詞の内容もストーカー被害と監視で、閉塞感の質までインダストリアルに寄っている。
ポップの人がこの手のことをやると大抵は薄まるのに、これはちゃんと汚い。ここで認識が完全に変わった。
ただのポップスターではなかった
調べてみて腑に落ちた。
このアルバム、録音場所の表記が「兄フィニアスの自宅スタジオ(ロサンゼルス)」で、プロデュースも彼の単独。プロデューサー陣を並べて作るメジャーポップの作法をほぼ通っていない。1stの頃は文字通り実家の寝室で、ベッドの上に機材を置いて作っていたという。
家が変わっても、音の隙間の多さや近すぎる歌録りをやめていない。制約でそうなっていたのではなく、単純にその音が好きだったのだと分かる。
ちなみにレーベルからの口出しもほぼ無いらしい。SoundCloudで先に売れてから契約した経緯と、兄が作編曲もプロデュースも兼ねている構造上、外部が入る余地がない。実際このアルバムは事前シングルを一切出さず、丸ごと同時公開している。ストリーミング時代のセオリー完全無視だ。
通して聴いて、ようやく分かったこと
43分。曲間が繋がっていて、シャッフルすると壊れる作り。以下、聴きながら書き殴っていたメモ。
LUNCH / CHIHIRO — ベースの跳ね方とループの回し方が、ダフト・パンクのようなフレンチハウスの質感。というより両者の祖先が同じという感じ。CHIHIROの後半でシンセが前に出てくるあたりは『トロン: レガシー』のサントラを思い出した。冷たいのに壮大。ちなみにタイトルは『千と千尋の神隠し』から。名前を奪われて自分が誰か分からなくなるモチーフと、曲そのものが途中で別人になる構造が一致している。
BIRDS OF A FEATHER — アルバム4曲目、頂上。重めの流れが続いた後にいきなり開ける。単体で聴いていた時とは眩しさが違う。しかも歌詞の内容は「死ぬまで離さない」で、明るさの裏に重さが残ったまま。透明感の正体は音の隙間だと思う。鳴っている楽器が少なく、中域がスカスカに空けてあるから、声だけが浮いて聴こえる。
WILDFLOWER — 貫禄。初期なら囁きで処理していたところを、ちゃんと声を張って持たせている。2026年のグラミーでSong of the Yearを獲った曲。売れたのはBIRDSだが、評価されたのはこっちだった。
THE GREATEST — 前半で我慢して、後半で一気に開放し、さらにもう一段上がる。抑制の時間を長く取っているから解放が効く。時間配分そのものが仕掛け。歌詞は「こんなに尽くしたのに気づかれなかった」で、音の構造と内容が完全に一致している。
L’AMOUR DE MA VIE — たぶん一番やられる曲。前半は50〜60年代のジャズバラード風、途中で全部崩れてオートチューンとシンセのクラブ・トラックに変わる。同じトラックの中で時代もジャンルも飛ぶ。歌詞も前半の「あなたは人生の愛だった」を後半で全否定する。タイトルはフランス語で「我が人生の愛」。それを裏切る曲にこの題を付ける性格の悪さが、良い。
THE DINER — 跳ねたベースと遊園地のような音色で楽しげに進むのに、内容はストーカーの独白。全部一人称。彼女自身が実際に何度も被害に遭っている中で、加害者側の視点から書いている。曲の最後で電話番号を読み上げて終わる。
BITTERSUITE — タイトルがbittersweetではなくsuite(組曲)。最初から複数の曲を繋いだものだと宣言している。終わりは次の曲に直接繋がる。
BLUE — 6分近い最終曲。ここまでの要素が戻ってくる。そして冒頭「SKINNY」の弦のフレーズが再び現れて、円環が閉じる。聴き終わって頭に戻ると、そこがもう聴いた音になっている。
タイトルの意味
全曲が、途中で必ず一回姿を変える。硬さと柔らかさが同じ曲の中で交代する。『HIT ME HARD AND SOFT』というタイトルは、設計思想そのものだった。
だから通しで聴いている間、常に足元が動いている感覚になる。そしてそれは狙って作られている。
43分を止めずに聴くということ
『OK COMPUTER』も、NINの『The Fragile』も、曲順に意味があって、通しでしか本当の姿が見えないアルバムだった。今回感じた「あっという間だった」という感覚は、あの二枚を聴いた時と同じ種類のものだと思う。
面白いのは、この作り方が2024年に商業的にも成功していることだ。曲単位で消費される時代に、あえて崩れない構造を作って、それが売れた。ストリーミングのシャッフル文化への反撃のようにも見える。
そして何より——結婚して、子供ができて、まとまった時間で音楽と向き合うことが本当に難しくなっていた。細切れに聴くことはできても、43分を一枚の作品として最初から最後まで受け取るのは、まったく別の行為だ。
たまたま家に一人だった日曜の午前。インスタのリールから始まって、アルバムを二周した。
次作は制作中で、2027年らしい。今から追い始めれば、リアルタイムで新作を待てる。
それはそれで、悪くないタイミングだと思っている。

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