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『自分の愛し方』生きづらい世界で犬が教えてくれたこと

数年前、私の大切な愛犬たちは旅立ちました。


私の人生には、2匹の犬がいました。


機能不全(毒親)家庭で育った私は、それまで人間と「心でつながれる」という感覚が一度もありませんでした。


それは育った実家でも、大人になって結婚してからも同じでした。


周りから見れば恵まれた結婚生活だったのかもしれません。


けれど私の心には、どうしても埋まらない決定的な空虚感があり、「幸せとは何なのか」がずっと分からないままでした。

30代のころ、仕事や人間関係に疲れ果てていたある日の仕事帰り。


たまたま通りかかったオープンカフェに、犬を連れた女性がいました。当時の私はペットを飼ったことがなく知識もありませんでしたが、それがミニチュアシュナウザーという犬種だと知りました。


一瞬で心を持っていかれるほど、可愛かったのです。


家に帰り、すぐに夫に相談しました。仕事人間だった夫も実は犬を飼いたかったようで、話はトントン拍子に進み、翌週にはブリーダーのもとへ向かっていました。


そこで出会ったのが、白いシュナウザーでした。その子は犬種の規格よりも大きく、生後3ヶ月を過ぎていました。ただ「体が大きめだから」という理由だけで、売れ残っていたのです。


普通なら命を預かる不安や葛藤があるはずなのに、その時は不思議とそんなものは微塵もありませんでした。ただ「この子だ」という、理屈を超えた直感だけがありました。


私の膝の上でじっと動かないその姿が、なんとも愛おしい。
それが、すべての始まりでした。


その日は見に来ただけだったため、後ろ髪を引かれる思いで帰宅しましたが、どうしても忘れられず、翌週には我が家へと迎えました。


これまで生きてきて、一度も感じたことのない感覚でした。


実家にいた頃の私は、常に親の顔色を伺いいつも緊張状態で周囲の空気を察知しようと必死でした。親の過剰な干渉や支配に、心底疲弊していたのです。


だからこそ、その白い小さな命に初めて触れたとき、目が合ったとき、これまでの人生で味わったことのない感覚に震えました。


まるで最初から出会うことが決まっていたかのような、言葉にできない「魂のつながり」をはっきりと感じました。


そこには、人間の世界にあるような言葉の駆け引きも、条件も、表裏も一切ありませんでした。


ただそこに一緒にいるだけで、説明のつかない絶対的な安心感に包まれていく。


愛犬という存在を通じて、30数年間ガチガチに硬く閉ざされていた私の心の扉が、自然と、そして強烈に開かれていくのを感じていました。


結婚してしばらく経った頃、仕事で昼間留守番をさせることが増えた時期がありました。


親兄弟や豊かな自然に囲まれて育ったその子にとって、都会の小さな部屋での留守番は耐えがたい孤独だったのでしょう。


ある日、忘れ物を取りに帰ると、留守番させていた部屋の扉がガタガタと音を立てていました。開けると、そこには不安で激しく震える愛犬の姿があったのです。「分離不安症」の疑いでした。

人間のエゴでこの子を傷つけてしまったという強い罪悪感と責任感から、私はまもなく、もう一匹のシュナウザーを家族に迎えました。
これが、我が家に2匹のワンコが揃った理由です。

結婚11年目をもうすぐ迎えるある日のことでした。


理由もなく胸がざわつき、夫に電話をかけたのですが「用がないならかけてくるな」と一喝されました。


その瞬間、私は自分の存在そのものを完全に否定されたように感じ、自分には生きている価値などないのだと、目の前が真っ暗になり生きる気力のすべてが消え失せてしまいました。

けれどその時、足元に愛犬がしっぽを振りながら駆け寄り、『どうしたの?』と顔を覗き込むように、そっと寄り添ってくれました。


暗闇の底で、その温もりが私の命を繋ぎ止めてくれました。


それがきっかけで私は離婚を決意。私の生活は激変することになります。


経済的な理由から、かつて私を深く傷つけた場所である「実家」に2匹を預けざるを得なくなり、私は彼らを守るために昼夜を問わず働く、過酷な二重生活が始まりました。


ボロボロになって夜遅く、実家へ2匹に会いに行く日々。外の世界は仕事も人間関係もすっかり心が削られてしまうような、息苦しい毎日でした。


状況も環境も最悪で、当時の私は自分のことを「まともな人間だ」とも、「このままでいい」とも、心底思える状態ではありませんでした。
自分に価値なんてない、と思っていました。

けれど、2匹は違いました。


私がどんなに疲れ果てていても、社会的・経済的にピンチであっても、彼らはそんな「条件」なんて一切お構いなし。


ドアを開けた瞬間、世界で一番大好きな人が帰ってきたと、ちぎれんばかりに尻尾を振って、全力の愛で私の胸に飛び込んできてくれました。

親の愛を知らずに育った私は、ずっと「愛とは、相手の顔色を窺い、正解を当て続けなければ貰えないもの」だと思っていました。


だからこそ、どれだけ恵まれた環境にいても、心がずっと空虚だったのです。


でも、言葉を持たない2匹の命は、そのまっすぐな瞳で人間の言葉に傷つき果てた私を、ただ無条件に受け入れてくれました。


わたしがどんな状態であっても、ただ私という存在を必要としてくれる。
その姿が、たまらなく愛おしかったです。


30数年間、誰にも開けられなかった心の奥底の空虚感が、彼らの温かい体温でじわじわと満たされていくのを感じました。


私が2匹を必死に守っているつもりでしたが、本当は、彼らがその無条件の愛で、私という人間を根底から「育て直して」くれていたのだと今振り返って思います。


彼らは私を精神的に救ってくれただけでなく、社会的に自立する強さをも与えてくれました。


「この子たちを絶対に守る」という決意が、ボロボロだった私を突き動かし、前を向かせてくれました。

そんな2匹も、数年前に旅立ちました。

2匹目の子は13歳で、病気との闘いの末に。1匹目の子は16歳で、大好きな昼寝の最中に、最後に1滴の涙を流して老衰で安らかに。


最期を迎えるその時まで、彼らは言葉を持たない代わりに、その命のすべてを使って私にメッセージを送り、私を理解し続けてくれました。

最後の散歩のとき、もう足が弱っていたはずなのに、若い頃のようにぐいぐいと私を引っ張って、いつものコースを3周も歩いてくれたあの力強い背中は、最後の力を振り絞って、私に何かを伝えようとしてくれていたのかもしれません。一生忘れられません。

50代になった今、あの子たちのいない場所で振り返り、ようやく心から分かったことがあります。


あの16年間、あの子たちは私に「無条件の愛」というものを、必死に教えようとしてくれていたのだ、とそう思います。


2匹の愛犬が命を懸けて教えてくれた「自分の愛し方」

それはありのままの自分で生きていくということ。

かつて毒親家庭で育ち、人間関係に疲れ果て、幸せが何かも分からずに心がカサカサに乾いていた私に、何の条件も求めず、ただ私という存在そのものに全身全霊で求めてくれた2匹の存在は、私の人生に遺された一生の宝物です。

最後に、私を無条件の愛で育て直してくれた2匹に、心からの感謝を込めて。

お読みいただきありがとうございました。
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