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Dr.阿部のニコニコ診療日記 第15回

東京の下町で開業する阿部聡医師。日々、さまざまな患者さんとの出会いがあり、その出会いから多くのことを学んだといいます。阿部医師と患者さんとの交流を通して、心と体の健康を考えていきます。

2006年6月某日

「この街では、お節介が親切になる」

Sさんは、気になって家に入って行き
トイレの前でばあちゃんを見つけた。

「先生よう。隣のばあちゃんが倒れてるんだ。なんとかしてくれ」
 10年前の夕方、Sさんが僕の当直していた下町の病院に飛び込んできた。あいにくと女性のベッドは満床で、救急の受け入れはストップしていた。
 ばあちゃんを自分の車で運んできたSさんは、面倒見のよい下町育ちの板前さんだ。
 患者さんがいて、僕が医者で、そして病院にたどり着いたなら、治さなくてはならない。他の理由は屁理屈にしかならない。
 筋が通れば、道理が引っ込む。
 断ろうとする当直の看護師をさえぎって僕はいった。
「ベッドは……男性部屋にひとまず入ってもらおう」
 ばあちゃんの意識はしっかりしていたが、右半身は動かなかった。脳梗塞(こうそく)だった。独り暮らしのばあちゃんのことを、Sさんはいつも気にしていたらしい。
 その日、朝からばあちゃんの姿を見かけなかったSさんは、気になって、ばあちゃんちに入って行った。Sさんはトイレの前で倒れていたばあちゃんを見つけ、病院に担ぎ込んできたということだった。
 その5年前、Sさんの奥さんの手術をしたのは僕だった。その後、僕は病院を変わった。Sさんとはそのとき以来の再会だった。下町のネットワークはインターネットよりも早い。どうやって僕の居場所を探し当てたのか、いまもって謎だ。
 幸い、ばあちゃんはリハビリのあと、マヒは残ったものの命は助かり、身寄りのいる東北へと帰っていった。退院までの3ヵ月間、Sさんは毎日見舞いに来た。迎えに来た親戚の人は、Sさんに軽く会釈をしてばあちゃんと病院を出て行った。

路地の入り口で待ち構えていたのは、
向かいのクリーニング店の夫婦だった。

 Nさんご夫婦の家には、2週間に1回、往診に行っている。ご主人は78歳、脳梗塞の後遺症で言葉が不自由だ。奥さんは2歳年上で、軽い認知症を患っている。お子さんはいない。初めて往診に行ったとき、路地の入り口で僕と看護師長を待ち構えていたのは、向かいのクリーニング店のTさん夫婦だった。
「いやあ、俺(おれ)たちのいうことなんか、ちっとも聞かないんでね。先生しとつ(一つ)よろしく頼みますわ。もう、こっちも何かあったんじゃあ困るから、心配で心配でねぇ」
 人のよさそうなご主人は、一気にまくし立てた。「ひ」と「し」の区別の付かない江戸弁だった。
「若いころから(Nさんの)奥さんはよ、料理しとつ(一つ)しないしと(人)でね。料理はじいさんが作ってたんでさあ。病気になってからは、じいさんが何か買ってきて食べてるみたいなんだけど、どんどん元気がなくなっててね。なんとかしてくんないと、俺らがまいっちまうんでね」
 この街では、お節介が親切になる。

「そうかい、そうかい。今度困ったことがあったら、東京は柴又(しばまた)の帝釈天(たいしゃくてん)の参道に『とらや』っていう、小汚ねえ団子屋(だんごや)がある。汚ねえじじいとばばあしかいないけど、寅(とら)からいわれて尋ねてきたといってみな。身なりは貧乏だが、心は優しいじじいとばばあだから、面倒見てくれるからよ。そうそう、俺の妹のさくらってのもいるからよ。兄ちゃんは元気だと伝えてやってくんなさい」
 寅さんが旅立ってから10度目の夏がやってきた。暑い太陽に照らされたNさんちの路地に、寅さんのうしろ姿が見えた。
                   (『健康365』2006年8月号掲載)


イラスト:江村信一

阿部 聡(あべ さとし)

略歴
1957年、徳島県生まれ。東京慈恵会医科大学卒業。同大学附属病院脳神経外科医長、足立共済病院脳神経外科、金地病院心療内科勤務等を経て、2005年に阿部メディカルクリニックを開院。脳神経外科専門医、臨床心理士として活躍。患者にとってのわかりやすい医療と、医療の街づくりを目指して活動を続けている。著書に『からだSOS』(土屋書店)、『癒しのタイムマシン』『幸せの虹をつくる』(ともに泉書房)、『「人間の体」99の謎』(PHP文庫)、『「恋愛脳」のつくり方』(大和出版)、『日本人は150グラム大きい脳で考える』(共著/PHP研究所)などがある。
【ホームページ】
http://www.yabuisha.com

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