「原作をちゃんと読めばABになる」と言う人の方が、二次創作に向いてないと思う
「原作をちゃんと読んでいれば、普通にABになると思う」
みたいな投稿を見た。
ちなみに私はAB左右固定です。
BAは見ない。リバも無理。Aの相手違いもBの相手違いもかなり地雷。AB前提のモブA、モブBですら内容による。プロフィールに「左右相手固定」と書いてある人を見ると、ちょっと安心するタイプの面倒な腐女子です。
なので、別に逆カプを擁護したいわけではないです。
私のTLにBAが流れてきたら普通に嫌だし、ABタグとBAタグを両方付けた作品には近づかない。リバ表記なしで途中から左右が変わったら、無言で閉じる。
でも、「原作をちゃんと読めばABになる」は意味が分からない。
原作をちゃんと読んだ結果、男二人を勝手に付き合わせて、さらに挿入方向まで決めたのは私たちでは🙂
原作が出したのはクソデカ感情で、ABを作ったのは私たち
AがBを命懸けで助けた。
BだけがAの弱さを知っている。
二人には子どもの頃からの因縁がある。
Aは普段誰にも見せない顔をBにだけ見せる。
Bが死んだと思った時、Aが明らかに動揺していた。
最高です。
分かる。私もそこを一コマずつ拡大して、表情差分を比較して、過去話まで戻って、「はいAB」と騒いでいます。
でも、それはAがBに挿入する公式根拠ではない。
原作が描いたのは、友情かもしれない。執着かもしれない。罪悪感、尊敬、依存、対抗心、憎しみ、家族愛かもしれない。
そこへ恋愛と性欲と左右を足したのは、こっちです。
男二人の間にクソデカ感情がある。
だから付き合っている。
だからAが攻めでBが受け。
この間、全部飛んでます。
飛んでいいんです。二次創作なので。
むしろ、その飛躍を全力で楽しむのがカプ萌えだと思っている。
なのに急に、「原作がABを示している」「普通に読めば分かる」「BAはキャラ解釈がおかしい」と言い始める人がいる。
いや、どっちも幻覚です。
幻覚の解像度を競うのは楽しいけど、幻覚を公式設定に昇格させないでほしい。
「公式に近いカプ」と「公式カプ」は違う
公式で二人の関係性が深く描かれている。
グッズで並ぶことが多い。
イベントで中の人が二人の話をした。
作者がインタビューで「お互いに特別な存在」と言った。
それでABに萌えるのは分かる。供給があると嬉しい。公式から二人の会話が一往復増えただけで三日は生きられる。
でも、「関係性が強い」と「恋愛関係である」は別です。
さらに「恋愛関係である」と「Aが攻め、Bが受け」も別です。
ここを全部まとめて「ほぼ公式」と呼ぶの、腐女子に都合がよすぎる。
公式男女カプや、作中で明確に恋愛関係になった同性カプならまだ分かる。
でも、男二人が背中を預けただけで「実質公式AB」、AがBの名前を叫んだだけで「公式が最大手」、同じ画面に映ったら「供給」と言っている私たちが、他カプにだけ原作読解の厳密さを求めるのは無理がある。
私も「公式がABすぎる」と言います。
言うけど、あれは鳴き声です。
学術的な結論ではない。
「原作がABすぎる」は萌え語りであって、「AB以外は原作を読めていない」という資格審査ではないです。
原作沿い長編だけが、解釈の深い二次創作なんですか
原作軸。
本編の空白補完。
最終回後。
あの戦いの夜、二人きりになっていたら。
こういう話が好きなのは分かる。私も好きです。原作の台詞や設定を丁寧に拾って、関係性の延長として付き合わせる作品はめちゃくちゃ萌える。
でも、それを描く人が「キャラを本当に理解している人」で、現パロや学パロ、オメガバ、Dom/Sub、転生、女体化、芸能人パロを描く人は「名前と顔だけ借りている」みたいな序列はだるい。
原作で高校生ではない二人を高校生にする。
原作に第二性なんてない二人をαとΩにする。
戦う世界の二人を、現代日本の1LDKで同棲させる。
全部、原作にないです。
でも、本編の描かれていない夜にセックスさせるのも原作にはない。
どちらも妄想です。
原作から五センチ離れた妄想と、五キロ離れた妄想を比べて、五センチの方だけを高尚にする必要ありますか。
私はキャラの芯が残っている作品が好きです。
現パロでも、「この状況ならAはこう言う」「Bはこういう時に黙る」が見えると萌える。逆に原作軸でも、私の解釈と違えば刺さらない。
つまり大事なのは、原作との物理的な距離ではなく、その人がどこにキャラらしさを感じているかだと思う。
そこが合わなければ読まない。
それだけです。
顔カプでも接点なしでも、好きならやればいい
接点がほぼない二人を組ませる。
顔がいいから並べる。
身長差が好きだからカプにする。
イメージカラーが対になっている。
声の相性がいい。
一回だけ会話した時の空気がよかった。
別によくないですか。
二次創作なので。
私は接点なしカプにハマることはあまりないです。関係性を原作から拾って、その延長に恋愛を幻視する方が好き。
でも、私が萌えないことと、そのカプが存在してはいけないことは別です。
「顔しか見てない」って言う人もいるけど、顔を見てカプにするのも普通に嗜好では。
私たち、男二人の友情に勝手に性欲を足している時点で、そんなに偉そうな場所に立ってないです。
接点が多いから正しい。
公式供給があるから深い。
原作軸だから愛がある。
マイナーカプだから顔しか見ていない。
そうやって萌えに偏差値を付けるの、何のためなんだろう。
自カプを「正解」にしないと、不安なんだと思う
たぶん、自カプがただの妄想だと認めるのが怖い人がいる。
逆カプも、同じ原作から生まれた妄想。
相手違いも、顔カプも、接点なしも、同じ二次創作。
公式が明日、とんでもない供給を出して、自分の解釈が全部ひっくり返るかもしれない。
それが不安だから、「私は原作を正しく読んでいる側」に行きたくなる。
ABが好き、だけでは足りない。
ABが正しい。
ABには根拠がある。
AB以外は読解が浅い。
そういう保証まで欲しくなる。
でも、自カプって正解だから好きになるものですか。
私はABが正しいから描いているわけではない。
AがBにだけ見せる顔に萌えた。Bの執着を受けだと解釈した。Aの不器用な優しさを攻めとして浴びたくなった。
それだけです。
もちろん、自分の中ではAB以外あり得ない。
BAの解釈を見せられても「違う」としか思えない。相手違いを見たら、いやその感情はABに向いてるだろ、と内心キレる。
固定厨なので。
でも、それは私の頭の中の正解です。
原作全体の正解ではない。
固定厨と正解厨は違う
自衛するのは自由です。
BAをミュートする。リバの人をフォローしない。相手違いが流れてくるアカウントをブロックする。イベントでABスペースだけ回る。
全部やればいい。私もやります。
でも、
「私はBAが嫌い」
と、
「BAを好きな人は原作を理解していない」
は全然違う。
前者は嗜好。後者は、原作を使って他人の萌えを失格にする行為です。
私はABが好きです。
逆は見ない。リバも無理。相手違いもかなり地雷。
それでも、ABが公式の答えだとは思っていない。
自カプなんて、公式が出した感情へ、こっちが勝手に恋愛と性欲と挿入方向を足したものです。
それで十分楽しい。
むしろ、正解ではないものを全力で好きになって、本を作って、何百ページも幻覚を出力しているところが二次創作の面白さでは。
自カプを正解にしないと愛せないなら、好きなのはABではなく、正解側にいる自分なのだと思う🙂
