「誰かが見ている」は、なぜ危険なのか―責任の空白が生む見失われた時間―
救急外来では、こんな言葉をよく聞く。
「先生に報告しました。」
「日勤に申し送りしました。」
「○○さんも知っています。」
一見すると、
共有されている。
対応されている。
誰かが見ている。
だから安心。
そう思ってしまう。
しかし、本当にそうだろうか。
急変症例を振り返ると、
「誰も知らなかった」
症例よりも、
「みんな知っていた」
症例の方がむしろ多い。
医師も知っていた。
看護師も知っていた。
申し送りもされていた。
それでも、
再評価されない。
優先順位が変わらない。
違和感が言語化されない。
そして、
見失われた時間だけが過ぎていく。
なぜだろうか。
それは、
「誰も見ていない」
からではない。
「誰かが見ている」
と思ってしまうからである。
その瞬間、
思考は分散する。
責任は曖昧になる。
再評価は先送りされる。
そして、
患者だけが静かに変化していく。
T-ACTでは、
・報告した ≠ 誰かが考え続けている
・共有した ≠ 再評価が継続している
・申し送った ≠ 責任が引き継がれている
を区別する。
報告した。
共有した。
申し送った。
これらは、
リスクループを「渡した」だけであり、
誰かが「持ち続けている」ことを保証しない。
最も危険なのは、
「誰も見ていないこと」
ではない。
最も危険なのは、
『誰かが見ていると思っている状態』
である。
急変は突然ではない。
そして、
責任の空白も突然生まれない。
「誰かが見ている。」
その一言から、
静かに始まっている。
だから私たちは、
患者だけではなく、
『今、このリスクを誰が持っているのか』
を問い続けなければならない。
Never Stop Thinking.
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