「お父さんがお湯、用意してくれましたよ」――私の看護の原点になった入浴介助
訪問看護師をしていた頃、
認知症のある女性の入浴介助を担当したことがある。
足腰はしっかりしていた。
歩けるし、会話もできる。
でも、“お風呂”という言葉が出た瞬間、
表情が変わる。
「入らない!」
「嫌!」
そこから全力拒否だった。
ケアマネージャーによると、
もう何か月もお風呂に入れていなかったらしい。
でも私は、その人を見ていて思った。
この人、本当は人が嫌いなわけじゃない。
もともと社交的で、外へ出るのも好きだった人。
そして何より、ご主人のことが大好きだった。
だから私は、「お風呂入りましょう」
とは言わなかった。
代わりに、
「お父さんがお湯、用意してくださってますよ」「よかったら、お手伝いするので入りませんか?」
そんなふうに声をかけた。
すると隣でご主人も、
「いい湯ができてるよ~」
と、にこやかに誘ってくれる。
すると、あれだけ拒否していたのに、
すんなり立ち上がった。
その姿を見て、私はちょっと驚いた。
認知症になると、どうしても“できないこと”に目が向きやすい。
でも、その人が大切にしてきたものや、心地よい関係性って、ちゃんと残っているんだと思った。
その方は時々、
ふらっと徘徊してしまうこともあった。
訪問すると家にいなくて、
ご主人と近所を探し回ることもある。
そんな時、私は無理に連れ戻そうとはしなかった。
一緒に歩いた。世間話をした。
時にはコンビニへ寄って、「お父さんの分も買いましょうか」なんて言いながら、缶コーヒーを選んだ。
そして家へ戻って、三人でお茶を飲む。
少し落ち着いた頃に、またご主人が、
「お湯、沸いてるよ」
と声をかける。
すると、自然な流れで入浴できることがあった。
会社としては、“入浴できたか”が評価になる。
何か月も拒否していた人が入れた。
それはもちろん結果として大きい。
でも私は、その過程こそ大事だったと思っている。
一緒に散歩した時間。
コンビニでコーヒーを選ぶ時間。
三人でお茶を飲んだ時間。
ご主人が、愛情を込めてお湯を用意していたこと。
そういう穏やかなやり取りが、
その人の安心につながっていた。
看護って、点滴や処置だけじゃない。
その人が安心して過ごせる空気を作ることも、看護なんじゃないかと思う。
だからその人が安心して、その人らしく過ごせる関わりを大切にしたい。
病気だけを見るんじゃなく、
その人が大事にしてきた関係性や、暮らしや、感情まで含めて支えること。
それが、今の私の看護観となっている。
