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【自己紹介】三度、心を壊した僕が「負の連鎖」を断ち切り、育児を愛せるようになるまで。

はじめまして、やすです。

まずは、
少し意外な
「白状」からさせてください。

僕は現在、
保育士としての経験を活かし、
アドラー心理学や
「目的論」に基づいた
育児の視点を発信しています。

しかし、
僕には子どもがいるわけではありません。

独身で、
今は最新のポケモンゲームに
頭を使うような、
一人の「教育・心理オタク」です。

なぜパパでもない僕が、
これほどまでに「育児」や
「子どもの心の声」に
執筆の情熱を注いでいるのか。

その裏側にある、
僕の人生の物語をお話しします。

1. 「楽をしたい」から始まった、衝撃

の気づき

保育士として働いていた頃、
僕は子どものわがままに
強いストレスを感じていました。

「もっと楽に子どもを動かしたい」……

そんな不純な動機で手に取ったのが、
アドラー心理学の書かれている
名著『嫌われる勇気』でした。

当初は言葉の表面しか理解できず、
子どもとの関係はぎこちないままでした。

しかし、
何度も読み返し、
現場で試行錯誤を繰り返す中で、
ある凄まじい事実に直面しました。

「僕は子どものわがままにストレスを感じていたのではなく、子どもにいうことを聞かせるために、自らの中に『怒り』を発生させていた」

ストレスは受けるものではなく、
自分の目的のために創り出していた。

この気づきは、
僕の価値観を根底から覆しました。

2. ルーツにあった「怒りの檻」と三度の崩壊

なぜ僕は、
それほどまでに「怒り」という道具を使い、
子どもを抑圧しようとしていたのか。

その正体は、
僕自身の家庭環境にありました。

僕の父は、
お酒を飲み、
自分の納得がいかないことがあれば
怒鳴り散らし、
物を壊すなどして
僕の意見を封じ込める人でした。

常に「最後には僕が謝る」ことでしか
終わらない日々。

期待に応えようと
「優等生」を演じていた僕の心は、
高校時代に限界を迎えました。

「学校を辞める」

と部屋に引きこもったあの日。

僕は本当は、
ただ寄り添ってほしかった…

反省してほしかった…

僕はこれまでの人生で、
三度、心を壊しました。

四度目はないように、
僕は自分の人生を大切にするため、
父と縁を切る道を選びました。

それは、
自分の命を守るための、
痛みを伴う決断でした。

3. 母への恩返しと、保育現場での葛藤

一方で、
母は今、
「体という檻」から解放された存在として、
空から僕を見守ってくれていると信じています。

そんな母への恩返しは、
僕が僕のために、
心から元気で生きること。

ただ、それだけです。

僕は保育の現場で戦っていました。

しかし、
「大人の設定した目的」のために、
怒りを用いて子どもを操作しようとする環境。

それが子どもの
「望ましくない行動」を
より強めていると気づき、
僕は声を上げ続けました。

しかし、
現場では
「子どもがそんなに考えているわけがない」
と一蹴される日々。

本気で子どもたちの
心を守ろうとした結果、
僕は適応障害を診断されました。

でも、
僕はその診断を肯定的に捉えています。

なぜなら、
それだけ僕が「子どもとの向き合い方」を、
命懸けで大切にしたかった証拠だからです。

4. 感謝の気持ちを忘れないために

現場を離れた今でも、
ショッピングモールなどで親子を見かけると、
無意識に「今のこの子の目的はこれだ」と
頭が動いてしまいます。

その時、確信しました。

「僕は保育という『仕事』は苦手だったかもしれないけれど、育児という『営み』は心の底から大好きなんだ」

僕の記事でよく最後には
「感謝」を伝えて欲しいとあるのは、
僕自身が常に意識している言葉があるからです。

「もし、目の前のこの子が明日、
交通事故にあったら」

生きている、
ただそれだけでありがたい。

その本質を忘れないために、
僕は「おわりに」で必ず、
お子さんへ感謝を伝えてくださいと
書き続けています。

おわりに:僕の代で、連鎖を終わらせる

僕の人生は、
決して平坦ではありませんでした。

でも、
家庭環境で身につけてしまった
「怒りで人を動かす価値観」は、
自分の意思で書き換えることができました。

僕の代で、
負の連鎖を終わらせたい。

僕の記事が、
誰かと子どもの関係を
温かくするヒントになり、

一人でも多くの親御さんの心に
「ゆとり」が生まれること。
それが、僕の今の夢です。

これからも、
皆さんと一緒に学び、
成長していければ幸いです。

最後まで読んでいただき、
ありがとうございました。

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