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「お姉ちゃん・お兄ちゃんだから」を卒業しよう。役割ではなく「一人の人間」として向き合うことの尊さ

先日、3歳の女の子の姿を見て、
僕は鳥肌が立つほどの感動を覚えました。

妹が眠っているとき、
物音を立てないように静かに動き、
そっと毛布をかけてあげる姿。

誰に言われたわけでもなく、
その子の内側から溢れたその優しさは、

一人の人間として
あまりにも美しいものでした。

しかし、
こうした姿を見たとき、
多くの大人はついこう声をかけてしまいます。

「お姉ちゃんだから、優しくできて偉いね」

実はここには、
子どもの健やかな成長を阻んでしまう、
ある「危うさ」が隠れています。

1. 感謝の宛先は、どこに届いているか

「お姉ちゃんだから偉い」
という言葉をかけたとき、
感謝の宛先はどこに届くでしょうか。

それは、
その子自身ではなく
「お姉ちゃんという役職」に届いてしまいます。

子どもは、
与えられた「お姉ちゃん」という立場を
一生懸命にまっとうしようとします。

その姿はとても健気です。

しかし、
感謝が常に役割に向けられていると、
子どもは潜在的に

「お姉ちゃんとして振る舞っている
自分には価値があるけれど、
そうじゃない自分は?」

という不安を抱えかねません。

その子が妹に毛布をかけたのは、
役職としての義務ではありません。

彼女自身の優しさが選んだ行動です。

だとしたら、
お姉ちゃんというフィルターを通さず、
その子自身に感謝を届けたい。

「今、静かに動いてくれたんでしょ。ありがとう」

そう伝えることで初めて、
感謝の言葉はその子の心に直接届くのです。

2. 「条件付き」ではない自尊心を育む

自尊心とは、
「ありのままの自分には価値がある」
と思える心のことです。

対して
「お姉ちゃんだからできる」という原動力は、
ある種の「条件付きの肯定」に他なりません。

「お姉ちゃん」という役割を
原動力にしてしまうと、
その役割が機能しない場所

――例えば保育園のクラスや一人でいる時――

に、何を指標に動けばよいか
分からなくなる可能性があります。

「お姉ちゃん」というラベルを外した瞬間に、
自分を突き動かすエネルギー源が
消えてしまうからです。

もちろん、
そこから新しいエネルギー源を
探すこともできますが、

大元にあってもいいのは
「自分だから(自分はこうしたい)」
という内側から湧き出る想いです。

役割を脱いでも、
自分には価値があると感じられること。

大人からの
「お姉ちゃんだから」という条件を外した
「一人の人間」としての関わりこそが、
真の自尊心を養う土壌になります。

おわりに:ありのままの感動を言葉に

3歳の子が見せた、
妹への気遣い。

それは親の体力を気遣った
結果ではないかもしれないけれど、
結果として周囲を温かく照らしていました。

その事実に、僕はただただ感動します。

「お姉ちゃんだね」という評価の言葉で
その子の行動を枠にはめるのではなく、

「今、静かに動いてくれたんでしょ。ありがとう」
とその瞬間の事実を分かち合う。

特別な役割なんてなくても、
あなたはそこにいるだけで誰かの助けになり、
誰かを幸せにできる。

その確信こそが、
子どもがどんな場所へ行っても
自分らしく歩んでいくための、
本当のエネルギー源になると僕は信じています。


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