発信者は共通テスト国語を解いてみな-アート・知識型からロジック・データ型へ、人文学への締め付けか-
新年度生のレベルの温度感を知るためにも共通テストは解くべきだよ、
優秀になっているとも言えるし、問題形式がだいぶとロジックに寄っているとも言える
かつての知識偏重型から、図式を用いた応用問題に変わっており、よりデータ理解よりの解答が求められる
文章にはアートな文章とロジックな文章の2パターンあり、かつてはアートな文章読解であり、現在はロジックな文章読解が主流だ
分かりやすいのが『大意を読み取る』か『模範解答からの、文章の論理的な整合性』を読み取るかに分かれる共通テスト国語の解答だ
たとえば、『学生の温度感を知るために共通テストは受けるべきだ。知識型から応用型へ、アート型からロジック型へ移行してきている』が正答な時に、
『共通テストを受けることは学生理解につながる。暗記からの脱却と、芸術からの脱却。そして論理への接近と変遷を遂げている』が×で
『共通テストを受けることは学生のレベル感を知ることに便利で、知識型からアート型へ変容している』が⚪︎のような
うまく例えられないけれど、前半文と後半文のそれぞれの論理的整合性を問うもので、全文を見た際に均して正しい文を探し当てようという試みを排除している
それは一旦全文を読んでから問題を解くと誤りをもたらすように、高度に論理的なつながりを重視している
これにより、ネット言論界に二つの流れが予想できる。それは『論理、データ型言論人の新規流入』か『アート型人材の枯渇と独占』だ
例えば社会学部や文学部のような、データよりも着眼点が重視されるような分野への人材供給は滞り、
エビデンスを重視した学問体系へ再編されるかもしれないし、既存のアート型人材が重用されるようになるかもしれない
元を正してみれば、音楽や美術は共通テストの科目にはないので、アート型の国語や知識型の政経などは、よりエビデンシャルな方に向かうのもわかる
しかし、人文学はもとよりエビデンスが重視される学問分野ではない。そりゃ出土品の年代や起こった事件の年代などは大事だが
それよりも解釈が重視される。僕はこのことをアート的と呼んでいるのかもしれない
世の中にある文章は実用文と呼ぶとはいえ、ロジックやデータが全てではない。同じくらいかそれを超える量のレトリックで満ちている
このままでは、詩歌や小説への教育がおざなりになってしまう。その分野は芸大でやれば良いとも思うが
人文や法にまでデータを持ち出しても仕方がない。進学先で使わないのだから。それとも、『データに基づく人文学』を創設していく流れの一環なのだろうか
個人的には、陰謀論だが、データ。ロジック型入試は人文学への締め付けの一環ではないか
