昔、アフリカの国にバカパという王がいた。その王様はボンノパという家臣を信頼して、どこに行くのも連れていった。
ボンノパは何が起きても動じず、いつも「これでいいのだ」とつぶやいた。バカパ王はその言葉が好きだった。
ある日、王様は手にケガをした。そばにいたボンノパは「これでいいのだ」とつぶやいた。しかし、この時ばかりはバカパ王は激怒し、ボンノパを牢屋に入れた。
数日後、狩に出たバカパ王は森の部族に捕まってしまった。
その部族は儀式で、火炙りにする生贄としてバカパ王を捕らえた。
しかし、彼らは王の手のケガに気づき、傷ものは生贄に出来ないとバカパ王を放免した。
帰ってきた王は、ボンノパを牢屋から出して謝った。
「お前が言った通り、わしが怪我をしたのはあれでよかったんだ。なのにわしはお前を牢屋に入れてしまった。どう償えばいい?」
するとボンノパは次のように答えた。
「王様。それでよかったんです。私を牢屋に入れなかったら、私は貴方と狩に行き、一緒に捕まって生贄になっていました」
バカパ王は悟った。起きた事は、すべてそれでいいのだ。実は上手くいっているんだ。
さて、王様の名前と家臣の名前を並べてアナグラムしないでください。絶対にしちゃダメですよ?
というわけで上の逸話と赤塚不二夫先生が描かれた漫画「天才バカボン」との関連性は不明ですが、実はこの「天才バカボン」に仏教的な背景があったことをご存知でしょうか?
作者の赤塚不二夫さんは、生まれは富山県、北陸の地は仏教特に浄土真宗の盛んな土地柄だそうで、私は「百姓の持ちたる国」「加賀一向一揆」(それは加賀国石川県)、越前吉崎御坊のイメージが強いのですが、「バカボン」とは仏教用語でお釈さまの敬称であり、サンスクリット語の「Bhagavan(バガヴァーン)」「Bhagavad(ヴァガバッド)」、覚れる者という意味で”Buddha(仏陀、ブッダ)と同義語を漢訳しています。漢字では「婆伽梵」「薄伽梵」と書くそうです。
そして、バカボンのパパの言葉「これでいいのだ」は”あるがまま” “ありのままを受け入れる”という仏教の悟りの境地が表されています。
仏教でいうところの「苦」とは『世の中には自分が思うようにならないこと』。「これでいいのだ」という言葉には、一切皆苦であるとこの世を認識し、起こったことを前向きに解釈する姿勢があるのです。
”自分のあるがままを受け入れる”こと(=自己受容)、自己肯定感を安定させ、さらに高めるためにも非常に大切な考えです。
『自分のこういうところが嫌い』『ここができていないから、自分はまだまだダメなやつだ』などと考えずに、まずはどんな些細なことでもいいので、自分のできているところを挙げ、「これでいいのだ」と呟いて自分を認めることからはじめてみませんか?
(2023/8/14)
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