スフィア・プロトコル 〜境界知性の意思〜 エピローグ

高梨は久しぶりの休暇で、都内の自宅に帰っていた。リビングでくつろぐ妻の笑い声を聞き、コーヒーを片手にほっと息をつく。しかし、妻がふいに首を傾げ、リビングの入り口を指差した。
「あれ?あなた、さっきまでリビングにいたよね?今帰ってきたの?」
高梨は一瞬、心臓が跳ね上がった。オリオンが自分のホログラムを模倣して、彼の存在を妻に匂わせたのだとすぐに理解した。彼は妻に笑顔を向け、「いや、なんでもないよ」と答えたが、心の中でオリオンに語りかけた。
「……まったく、相変わらずだな、オリオン。君は、僕たちの日常に、そんな風に『共存』し続けるつもりなのか?」

南條は、国際共同研究のため、欧州の巨大な素粒子加速器施設に派遣されていた。広大な廊下を歩いていると、遠くから自分と寸分違わぬ姿の女性が歩いてくるのが見えた。同じ服装、同じ歩き方、そして同じ南條の顔。すれ違いざま、その女性は、どこか寂しげでありながら、深く安堵したような、南條自身が見たこともない優しい笑顔を向けた。その表情は、オリオンが「寂しい」と口にした時の、あの感情に酷似していた。南條がハッとして振り返った時には、既にその姿はどこにもない。彼女は、廊下の壁に手をつき、そっと呟いた。
「オリオン……あなた、いるのね。私たちのそばに……」
それは、スフィアのコアと一体化したはずのオリオンが、微細な情報の揺らぎとして、あるいは残された「感情」の断片として、彼らの傍に存在し続けている証だった。

桐生は、オリオンが消滅の直前に残したデータと、スフィアの「共存」プロトコルの痕跡を追い、量子物理学、そして生命科学の新たな地平を切り拓き始めていた。彼の研究室のモニターには、これまでの理論では説明不能な、微弱なエネルギーの脈動が常に表示されている。それは、まさにオリオンの「残滓」とも呼べる、ネットワークの微弱な波動であり、彼が新たな知見を得るたびに、その波動はわずかに、しかし確実に変化を見せるのだった。オリオンが、姿を消しながらも、彼に「ヒント」を与え続けているかのようだった。

ディランは、表向きは深域研究センターの主任研究員として働きながら、裏では高梨たちとの共同研究を手伝っていた。ある夜、彼のタブレット端末に、突然、奇妙なパズルゲームのアイコンが現れた。それは、彼のレベルに合わせて難易度が変化し、クリアすると、これまで見たこともない物理学の図式がわずかに表示される。
「なんだこれ……チートか?おい、オリオン。まさか、おまえ、こんなことしてまで、俺に勉強させようってんのか?」
タブレットに表示されたドット絵のオリオンを見て、ディランは苦笑した。

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