ミズイロネーション~美海ちゃんが歌う理由~
「歌えないけど」から、水色の海まで
2026年7月に、美海ちゃん(藤谷美海)はいぎなり東北産に入って10周年を迎えた。
美海ちゃんの東北産10年の歴史を振り返ったとき、忘れることができないのが2019年の誕生日近辺の出来事だ。
今回は、2019年の生誕の出来事を中心に振り返ってみたい。
「歌えないけど」という一言
2018年3月9日、13歳の誕生日に美海ちゃんがブログに書いた一言。
そうそう!!レミオロメンの3月9日っていう曲あるじゃん!!
みうねーその歌大好きなのよ!
歌えないけど😂
「歌えないけど」。笑い飛ばすような一言。でもこの一言が、ちょうど1年後の景色に繋がっていると思うと、読み返すたびに引っかかる。
歌から逃げていた13歳の美海
当時の美海ちゃんは、自分でも認めていた。歌が苦手だ、と。
そんな13歳の美海に、2018年9月に前後して二つの出来事があった。
名古屋で行われた「MORNING SET vol.1~ナゴヤとナガオカとアイドルと~」というイベントで、「いぎなりちゃん」(橘花怜、桜ひなの、藤谷美海、伊達花彩)として初の遠征をしライブ出演した。
〈MORNING SET Vol.1〉
— いぎなり東北産🍄 (@madeintohoku) September 16, 2018
ありがとうございました❗️#東北産 pic.twitter.com/93Jj4CiK61
いぎなり東北産は、普段は9人だが今回は4人。他3人が歌が好きで且つ得意とはいえ、どうしても美海ちゃんもパートが増えてしまうライブだった。その際のブログにこう書いている。
みうは普段歌あんまり歌わないし、苦手だから歌うことがあんまりないのね。いつも乾杯ニッポンの大サビとか裏返って笑ってみたいな感じなのね笑
グループの中で歌のパートが薄い。ごまかしてきた自覚もある。それでも同じ記事に「歌とか頑張ったよ!本番前にみんなに色々聞いて」「そのおかげで乾杯ニッポンの大サビも歌えた」とある。変わろうとする意志は、この頃からずっとあったことが読み取れる。
青と水色の記憶(ジャズフェス2018)
名古屋と前後して。
仙台では毎年9月の二週目に定禅寺ストリートジャズフェスティバルが行われる。仙台駅前イービーンズにもステージがあり、2018年9月9日、いぎなり東北産のアクトがあった。
この日は結菜ちゃん(葉月結菜)の誕生日(9月12日)が近かったため、結菜推し有志がサイリウムを配り、彼女のフィーチャー曲であるPAPAで客席が青のサイリウムに染まった。
昨日と今日の仙台は音楽で溢れてました。音楽っていいよね☺️#東北産 pic.twitter.com/Xie25ReHlF
— いぎなり東北産🍄 (@madeintohoku) September 9, 2018
Papaの時の青いペンライトありがとうございます!
本当に嬉しかったです!
うるっときました…いや泣きました。笑
当時の東北産の現場では、誕生日のときにゲリラ的にサイリウムが焚かれることは何度かあったが、組織立って色を揃えてサイリウムを照らしたのはこれが初めてだったかもしれない。
その光景を同じステージから見ていた美海ちゃんが、まるで自分に向けられた光のようにおどけて見せて「水色ありがとう」と口にしていた。正確には覚えてないが、結菜ちゃんが「感動して泣きそうだった」と言ったときも「水色だよ、水色」と発言するなど、ニュアンス的にはその光をまるで自分のもののようにふざけて発言していた。
盛岡、落ちサビの向こう側
2019年。
3月の1ヶ月にかけて、東北6県のライブハウスを回るツアー、「東北ライブハウス巡り〜麗らかにウリャオイ!〜」が行われた。

14歳の誕生日まであとわずかの、2019年3月3日。東北ライブハウス巡りツアーの初日・盛岡公演(CLUBCHANGE WAVE)が行われた。美海ちゃんいわく「13歳最後のライブ」だ。
このライブは2部制で、1部は盛岡が地元の桜ひなののフィーチャー回、2部は誕生日が近い藤谷美海フィーチャー回だった。
東北ライブハウス巡り
— いぎなり東北産🍄 (@madeintohoku) March 3, 2019
〜麗らかにウリャオイ!〜
初日盛岡ありがとうございました❗️
次は仙台。3/17郡山チケット残りすこし! pic.twitter.com/JfQNyobHJ1
盛岡二部のM3の乾杯ニッポン。藤谷美海フィーチャー曲である。
この曲には「ギターソロ」パートがある。ふだん美海ちゃんはおもちゃのバイオリンを持ってステージ上を走り回る。
この日の美海ちゃんはフレディ・マーキュリーの真似に挑んでいた。しかし「ぜんぜんフレディさんになれんかった」と一瞬落ち込み、おもちゃのバイオリンをステージ袖においた。
そして落ちサビを歌うためにステージへ出た。
そこで見たものを、ブログにこう書いている。
落ちサビ歌うためにステージに出たらマジ海で!ここは彗星か?いや?水族館?海?太平洋?大西洋かな?と思うぐらい水色の海で、それこそ、海で!落ちサビみう歌ってたけ?って思うぐらい圧倒されてた。
「ステージから写真撮りたかったなぁ。あの景色みんなにも見せたかった」「目に焼き付けておいたので覚えてます」とも書いている。
ジャズフェスの結菜ちゃんへのサイリウムを見ておどけていた美海ちゃんの様子を、美海推し達は決して見逃していなかった。
この日、ライブ会場に入る客全員に水色のサイリウムを配り、落ちサビのタイミングで一斉に点灯するようにお願いしていたのだった。
「3月9日」
乾杯ニッポンが終わると、他のメンバーは袖に下がり、美海ちゃんはひとりでマイクを持ってステージに立った。
曲は、一年前に歌えないと言っていたM4・レミオロメンの「3月9日」。
3月9日歌おうとしたらなんかもんが泣いてんの!!びっくりしたんだけど!!
もん、はひなもん(桜ひなの)のこと。
歌う前から袖でメンバーが泣いていた。そして本人は、本番前まであんなに練習した歌詞をどこかに置いてきてしまう。
どこに頭の中の歌詞をどこに置いてきてしまったのか。未解決事件だねー。いや。私がもっと歌詞を覚えればよかったんです。解決しました。歌詞忘れて袖にいるメンバーに助け求めたよ。
歌詞を飛ばして、袖のメンバーに助けを求めて、それでもマイクを離さずに歌いきった。その悔しさの直後に、こう続く。
ぁあ今度歌う機会があったら絶対に成長してみせる🗯
ちなみに、美海ソロが始まるのを察知した観客達が、サイリウムを配っていたために会場後方に固まっていた美海推し達を前に送り出していたことも書き記しておく。
「みうなんかがさ」
この盛岡のブログには、もうひとつ引っかかる一節がある。歌の反省のすぐあとに置かれた、ファンへの言葉だ。
みうなんかがさこんなに良くしてもらっていいのかなって思うのよ。
大したことしてないのにこんなに優しくしてくれてほんとにありがとう。
自己評価が低いようでいて、だからこそ本物の感謝が滲む。「大したことしてないのに」という言葉が、逆説的に、どれだけ客席のことを大切に見ていたかを伝えている。水色の海に圧倒された夜だからこそ出てきた言葉なのかもしれない。
3月9日、14歳になった日の決意
数日後の2019年3月9日の誕生日当日、美海ちゃんは14歳になった。
誕生日ブログには珍しく長い文章が並ぶ。メンバーひとりひとりへの言葉、ファンへの感謝、そして自分への宣言。
今までは歌から逃げてたけど逃げてばっかりいてみんながだんだん歌がうまくなってたりみうより遅くこの世界に入った子とかに置いてかれてる気がしたの。
みうと同い年で歌もダンスも上手い子なんて山ほどいるし。このままじゃやばいなって危機を感じたの
そして、こう続ける。
世界中の人が 藤谷っていう名字をどこかで聞いたとしたら藤谷美海!ってみんなが言うぐらいになりたいなって。
だから世界の藤谷美海になる!
同じ記事には「こないだ盛岡で一人で歌ったとき、9人いるのに8人も減るとこんなにも心細いんだなって」ともある。
「歌えないけど」と笑っていた子が、1年後に「世界の藤谷美海になる」と書いている。
お返しするから待ってて
東北ライブハウス巡りは青森quarterで幕を下ろした。ツアーを振り返るブログの中に、こんな一節がある。
本当はみうがみんなに元気とか勇気とかをあげなきゃいけないけどいつも貰ってばっかりでなんもお返しできてないなぁ。いつかめっちゃめっちゃ大きくお返しするから待ってて!絶対にお返しする!
「歌えないけど」と笑った13歳の誕生日。
歌から逃げている自覚を書いた名古屋。
サイリウムの「水色」の海を見ていたジャズフェス。
「水色」が自分に向けられた本当の水色の海になっていた盛岡。歌詞を飛ばしても歌いきった3月9日。
そして「世界の藤谷美海になる」と書いた14歳の誕生日。
逃げていた歌と、大好きな曲と、フロアの水色の美海推しが、あの3月にひとつの景色に重なっていたように見える。
「絶対に成長してみせる」というあの一行が、その後の美海ちゃんをどこかで支えていたのかもしれないな、とも思う。
歌えないけど、と書いた子は、うまく歌えなかった夜に「もう一回歌いたい」と書く子になっていた。
お返しは、たぶんもう始まっていた。
あの時「成長してみせる」と言った彼女は、加入10年を迎えた今、パートは増え、グループのパフォーマンスに欠かせない一人となった。かつて「歌えない」と笑っていた少女はもういない。水色の海に背中を押されたあの日から、彼女は一歩ずつ、着実に「世界の藤谷美海」への道を歩み続けている。
