見出し画像

怪談百物語#56 トマト

昔から世界を旅するのが好きで、若い頃にはヨーロッパ一周を目指して旅をしていた。
EU圏なら移動が楽だ。
次々に国境を越えていくとスペインで足を止めることになった。

到着したのはトマト投げ祭り開催間近な日だった。
町は熱気に包まれており、地元の人の話は祭りのことでいっぱいだった。
同じ宿の宿泊客達が「良い記念だから参加しよう。」と盛り上がっている。
多くの国を旅行して気付いたのは、ノリが良ければなんとかなるということだ。
ビールを手にその輪の中に割り込んだ。
大声で参加表明をすると肩を組まれ、皆で飛び跳ねてから乾杯。
遅くまで飲んで記憶をなくして、起きた時には祭りが始まっていた。

同じ宿の連中から割高なチケットを受け取り、全員で祭りの会場である地区へと向かう。
開始時間になると、トマトを満載しているであろうトラックが姿を現す。

祭りの開始と共に滝のようなトマトが参加者全体にぶつけられる。
個体じゃないのか。
想像してたのと全然違う。
早速びしょびしょになったうえに、トマトで滑って転んでしまう。
体中ぐちょぐちょだ。
起き上がるのに手間取ると周りからほぼ液状のトマトがぶつけられる。
お返しにぶつけたり、液状トマトを掬ってぶっかけたりして楽しんだ。
日本に居たらこんな風に童心に帰れただろうか。

郷愁に身を震わせながらも、体は真っ赤に染まっていく。
バシャッ!
 「黙ってつっ立ってるからだよ、アジアン!」
宿の連中が体をトマトだらけにしながらからかってきた。
やりやがったな。
お返しだ、腰をかがめてできるだけ多くのトマトを両手で掬う。
ぬるっ、と生暖かい感触が指先を舐めた。
いまだにからかい続ける奴らに向かって思いっきり投げつけてやった!
宙を舞うトマトの中に子どもの顔が見えた気がした。
宿の連中にも見えたらしく、慌てて逃げようとしたのか腰を地面に打ち付けて呻いている。
興奮が一気に冷めた。
呻く奴らに手を貸して会場の隅へ逃げ込む。

祭りが終わると、同じ宿の連中は目線も合わせず散っていった。
会場近くに用意されたシャワーを浴びると、そのまま酒場に向かう。
記憶を流すために浴びるほどの酒を飲んで宿に戻った。
スペインはもういい。
次はポルトガルに行こう。
祭りは見るだけにしよう、参加はもうこりごりだ。

いいなと思ったら応援しよう!