「日米の密約」ってなんだろ〜⁉️🐸🍿
2025年3月14日、東京・霞ヶ関で「財務省解体デモ」というものが開催されました。参加者は1000名超で現場は「異様な盛り上がり」だったそうです。
その様子を報じる記事がありましたのでご紹介します。
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財務省解体デモ…記者が現場で見たのは、玉石混交の主張が入り乱れる“カオス”だった
公開日:2025/03/22 06:00 更新日:2025/03/22 06:00

14日の夕方、東京・霞が関で「財務省解体デモ」が開かれた。参加者は1000人超とみられており、財務省前は異様な熱気に包まれた。どの参加者も「財務省解体」という思いは共有しているようだったが、一人一人に話を聞いてみると、それぞれがさまざまな主張をブチまけるのだった。
「日本はどんどん貧しくなっているから、なんとかしなくちゃと思って来ました」
こう鼻息荒く話すのは、参加者の70代男性だ。デモ開始時刻の午後5時にはすでに多くの人が集まり、「消費税廃止」や「罪務省」などと書かれたプラカードのほか、日本国旗などが掲げられていた。
冒頭の男性は「株主の利益だけじゃなく、社会全体の利益を重視する公益資本主義に転換しなければなりません」と社会制度の改革を訴える一方で、「その一歩目はまず財務省の解体からです。だってディープステート(影の政府)が裏で手を引いているのでしょう」と真偽不明の主張もするのだった。
デモには現役世代から中高年など、さまざまな年齢層の参加者がみられた。中・高校生とおぼしき参加者もおり、10代前半くらいの少年が甲高い声で「天下りぃ! 財務省解体!」と叫んでいた。
時間が経つにつれてさらに人が増え、午後6時ごろには、財務省から道路を一本挟んだ外務省前の歩道も人でいっぱいになった。集まった人にデモ参加のきっかけを聞くと、今年1月に死去した経済アナリストの森永卓郎氏の影響を口にする人が多かった。
ある女性は「“発禁処分”などの圧力がかかり買えなくなると困るから、森永さんの本を家に積んであります」と話した。
“オールドメディア”への不満も多く聞かれた。70代女性は、自らの疑念をこう打ち明ける。
「大手新聞やテレビ局の上層部には外国人が入り込んでいるから、報道が規制されているのではないか。このデモだってなかなか報道されなかったし、外国人のせいで国民が本当に必要な情報が報道されてないんじゃないかと思っています」
隣にいた50代男性はその主張に共感したようで、こう付け加えた。
「恐らく、今のオールドメディアの状況はディープステートの暗躍の結果でしょうね。他にも外国人の生活保護など“外国人優遇政策”の実態を考えたら、日本人の弱体化、貧乏化を目的とする人々が政府にいるのではないでしょうか」
こうした会話をすぐそばで聞いていた40代の女性からは、こんな“忠告”が……。
「“真実”を報道すると、いろんなところから圧力がかかるから、記者さんも気を付けてね。日刊ゲンダイは大丈夫?」
少なくとも、本紙がそういった「圧力」をかけられているような実態はないと付け加え、記者はその場を去った。
デモでは実にさまざまな主張が見られた。「移民政策反対」など、外国人排斥を訴えるプラカードも多く見られ「中国、朝鮮は帰れ! いつまで日本に寄生するんじゃ!」というヘイトスピーチを叫ぶ者もいた。
30代くらいの男性は「5G、6Gの電波で、人々ががんになるのは明らかなんですよ!」と絶叫していた。
その他にも、政治団体「つばさの党」の黒川敦彦代表もデモに“乱入”した。黒川が「インフレになっちゃった状況で積極財政は間違っている」と訴えると、周囲の参加者が反発し「黙れや! 売名行為やめろ!」などの罵声が飛び交った。
この日は「NHKから国民を守る党」の立花孝志党首が、ナタを持った男に襲われる事件も発生。混沌とした一日だった。
(取材・文=橋本悠太/日刊ゲンダイ)
デモ参加者の多くは、ネット情報やYouTube動画などで、いわゆる陰謀論についてもよく知っている人が多かったのでしょうか❣️🐸🍿
ディープステートがフェイクメディアを支配しているとか、「中国、朝鮮は帰れ! いつまで日本に寄生するんじゃ!」などと叫ぶ人もいたんですね。
堪忍袋の尾が切れかかっている人たちも多かったのかもしれません。
ところでこの時のデモに、こんなおじさんが参加していたという動画があったので、ご紹介します。短い動画(1:41)なので、ぜひ画像をクリックしてご覧いただきたい内容です。
明治からこの国は乗っ取られている❣️🐸🍿#日本政府解体https://t.co/eDLDK5fC8m pic.twitter.com/nJ110AmjDM
— RabbitSoldier20🌸🐰🌸 (@RabbitSoldier20) March 21, 2025
このおじさんの主張によると、日本国憲法の上位に位置する最高法規として「サンフランシスコ講和条約」が存在すると言います。
これは、第二次世界大戦(太平洋戦争)終了後に、連合国諸国と日本との間で1951年9月8日に締結・署名された平和条約です。
連合軍による占領終了後の米軍が日本に基地を作って駐留を継続するのに反対をする立場から、ソビエト連邦(ロシア)は会議に出席したものの、この条約には署名しなかったらしい。
ともあれ、この時のサンフランシスコ平和条約によって、日本の「戦争状態」が解除され、これと同時に日米安全保障条約も1951年11月18日に署名されたそうです。
この時に日本国の主権についての取り決めに関する話し合いがあったようですが、それに関連する戦後の「日米密約」について解説してある記事がありましたのでご紹介します。
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日本とアメリカ間の「あまりにも異常な密約」…日本の「戦後」だけがいつまでも続く「衝撃の理由」
2025.03.14
アメリカによる支配はなぜつづくのか?
第二次大戦のあと、日本と同じくアメリカとの軍事同盟のもとで主権を失っていたドイツやイタリア、台湾、フィリピン、タイ、パキスタン、多くの中南米諸国、そしていま、ついに韓国までもがそのくびきから脱し、正常な主権国家への道を歩み始めているにもかかわらず、日本の「戦後」だけがいつまでも続く理由とは?
政治三流、経済一流、官僚超一流
私は1960年(昭和35年)という昭和中期の生まれなのですが、日本が高度経済成長の真っただ中にあった子どものころ、よくこんな言葉を耳にすることがありました。
「政治三流、経済一流、官僚超一流」
つまり、自民党の政治家は汚職ばっかりしてどうしようもないが、とにかく経済はうまく回っている。その証拠に日本は戦争で負けてから20年ちょっとで、アメリカに次ぐ世界第二位の経済大国になったじゃないか。
もちろんそれは町工場のオヤジから身を起こし、世界的な大企業をつくった松下(幸之助)や本田(宗一郎)といった経営者たちが偉かったからだが、もっと偉いのは官僚たちだ。霞が関で夜遅くまで煌々と電気をつけ、安い給料で国家のために働く頭のいい彼らのおかげで、日本はここまでのぼりつめたのだ......。
いまの若い人たちには信じられないかもしれませんが、30年くらい前まで、多くの日本人はそう思っていたのです。
ですから時代が変わり、2009年に自民党政権が崩壊して、その政治的変動のなかで外務省の「密約問題」が大きく浮上したときも、私自身のなかにそうした日本の高級官僚への信頼感というものは、まだ漠然とした形で残っていたような気がします。
なにしろ外務省といえば、財務省(旧大蔵省)と双璧をなす日本最高のエリート官庁だ。いま大きな疑惑として報じられている日米間の「密約」も、おそらくは存在したのだろう。
けれども外務省の中枢には、そうした複雑な問題を全部わかっている本当のエリートたちがいて、国家の行方にまちがいがないよう、アメリカとそれなりにギリギリの交渉をしてくれているはずだ......。
その後、自分自身が密約問題を調べるようになってからも、まだかなり長いあいだ、私はそう思っていたのです。
アメリカとの密約をまったくコントロールできていない外務省
けれども残念なことに、現実はまったくそうではなかったのです。
現在、日本の外務官僚たちは、戦後アメリカとのあいだで結んできたさまざまな軍事上の密約を、歴史的に検証し、正しくコントロールすることがまったくできなくなっている。
というのも、過去半世紀以上にわたって外務省は、そうした無数の秘密の取り決めについて、その存在や効力を否定しつづけ、体系的な記録や保管、分析、継承といった作業をほとんどしてこなかったからです。
そのため、とくに2001年以降の外務省は、「日米密約」というこの国家的な大問題について、資料を破棄して隠蔽し、ただアメリカの方針に従うことしかできないという、まさに末期的な状況になっているのです。(*1)
私が「戦後史の謎」を調べるようになってから知ったさまざまな事実のなかでも、この無力化した外務省のエリート官僚たちの姿ほど、驚き、また悲しく感じられたものはありませんでした。
大きな政治スキャンダルとなっている財務省や防衛省の資料改ざん問題や隠蔽問題も、その源流が過去の外務省の日米密約問題への誤った対応にあったことは、疑いの余地がありません。
永遠にウソをつきつづけてもかまわない
あれほど国民から厚い信頼を得ていたはずの日本の高級官僚たちが、いったいなぜ、そんなことになってしまったのか。
もちろん密約は日本だけでなく、どんな国と国との交渉にも存在します。
ただ日米間の密約が異常なのは、アメリカ側はもちろんその記録をきちんと保管しつづけ、日本側が合意内容に反した場合は、すぐに訂正を求めてくる。
また国全体のシステムとしても、外交文書は作成から30年たったら基本的に機密を解除し、国立公文書館に移して公開することが法律(情報公開法:FOIA)で決まっているため(*2)、国務省(日本でいう外務省)の官僚たちもみな、明白なウソをつくことは絶対にできない。
ところが日本の場合は、
「アメリカとの軍事上の密約については、永遠にその存在を否定してもよい。いくら国会でウソをついても、まったくかまわない」
という原則が、かなり早い時点(1960年代末)で確立してしまったようなのです。
そのため密約の定義や引き継ぎにも一定のルールがなく、結果として、ある内閣の結んだ密約が、次の内閣にはまったく引き継がれないという、近代国家としてまったく信じられない状況が起こってしまう。
*
(*1)「核密約文書、外務省幹部が破棄指示 元政府高官ら証言」(「朝日新聞」2009年7月10日)
(*2)ただし軍関係およびCIA関係の文書や、その文書の関係国(日本など)が反対した場合は、公開されないケースも数多くあります
兄(岸信介)の結んだ密約を、「よくは知らん」といった弟(佐藤栄作)
ひとつ例をあげてみましょう。
岸信介と佐藤栄作という、日本の戦後史を代表するふたりの政治家がいます。このふたりはそれぞれ安保改定(1960年)と沖縄返還(1972年)という巨大プロジェクトを手がけ、そのときアメリカとのあいだで重大な密約を結んだことでも知られています。
そしてみなさんよくご存じのとおり、このふたりは名字こそちがいますが、実の兄弟です。
その佐藤栄作が、兄である岸信介が安保改定のときに結んだ密約について、どういっていたか。なんと、「どうも岸内閣のとき、そういうものが若干あったらしいんだな。よくは知らんけど」
といっていたのです!(1969年10月27日)
これはほかでもない、佐藤が沖縄返還の秘密交渉を任せた、当時39歳の国際政治学者、若泉敬氏による証言です(『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』文藝春秋)。
佐藤はまた、自分が訪米してニクソン大統領とサインを交わすことになった「沖縄・核密約」(=有事における沖縄への核兵器の再配備を認めた密約:→【資料1】)についても、若泉からその機密の保持にはくれぐれも気をつけてくださいと念を押されたときに、
「それは大丈夫だよ。愛知〔揆一・外務大臣〕にも言わんから。〔密約文書を〕破ったっていいんだ。一切、〔誰にも〕言わん」
と、信じがたい発言をして、若泉を驚かせています(同年11月6日)。
【資料1】沖縄への核の再持ち込み密約
【若泉がキッシンジャーから手渡された「密約の原案」(*)(1969年9月30日)】
極秘 返還後の核作戦を支援するための沖縄の使用に関する最小限の必要事項
1.緊急事態に際し、事前通告をもって核兵器を再び持ちこむこと、および通過させる権利
2.現存する左記の核貯蔵地をいつでも使用できる状態に維持し、かつ緊急事態に際しては活用すること。
嘉手納
辺野古
那覇空軍基地
那覇空軍施設
および現存する3つのナイキ・ハーキュリーズ基地〔=米陸軍のミサイル基地〕
(*)最終的にはこの原案の内容を「共同声明についての合意議事録」(まずニクソンが右の内容を述べ、それを佐藤が了承するというやりとりの形にした文書)として書き直し、それに両首脳が 1969年11月19日の首脳会談の席上、大統領執務室に接した小部屋でサインをしました。事前の打ち合わせではイニシャルだけのサインの予定でしたが、実際にはフルネームでサインとなりました(『他策ナカリシヲ信ゼムト欲ス』)
さらにこのとき佐藤は、
「要するに君、これは肚だよ」といったとも若泉は書いています。
いったいこのとき佐藤は、自分がこれからアメリカでサインする予定になっている密 約文書について、どのような認識を持っていたのでしょうか?
なぜ、そこまでまちがった認識を、首相が持ってしまったのか
この会話を雑誌『文藝春秋』で取り上げた、密約研究のパイオニアのひとりであるジャーナリストの春名幹男さんは、
「つまり、佐藤首相は、「密約」を、総理大臣の個人的責任で窮地を凌ぐため腹芸で交わすものだと認識していた。そのため、外務大臣にも伝えていなかった。しかも、後継首相にも「密約」を引き継いでいない。
これは安保改定時に(略)〔重大な密約を〕結んだ岸首相も同様であった。日本側〔=岸と佐藤〕は密約は個人対個人のものと捉えていたのである」(「日米密約 岸・佐藤の裏切り」『文藝春秋』2008年7月号)
と述べています。
「えっ、本当ですか」と驚いてしまいますよね。密約は「個人と個人が交わすものだから、あとの政権に引き継がなくていい」と考えていたというのです。
でも、そんな勝手なとらえ方が、はたしてアメリカに通用するのでしょうか。
「しかし、アメリカは「密約」に対し、まったく違う認識を持っていた。「密約」は決して大統領の個人的判断などではなく、あくまで組織として機関決定し、政府対政府が取り交わすものであり、政権が変わっても受け継がれる、と考えているのである」(同前)
それはそうですよね。やっぱり通用しないわけです(笑)。
もちろんこれは、アメリカ側の認識が完全に正しいのです。国家の代表と代表が、互いに文書を交わして、そこにサインまでしているのですから、国際法上、これは通常の 条約や協定と同じように両国を拘束するというのが国際的な常識です(→『知ってはいけない2』280ページ)。
それなのになぜ、岸や佐藤といった戦後日本を代表する政治家たちは、そのような完全にまちがった認識を持ってしまったのでしょうか。
「日本政府の最高レベルに次のことを伝えよ」
そもそも戦後の日米関係というこの圧倒的な従属関係において、過去に自国の首相がサインした文書をアメリカ側から示されたら、日本の政治家や官僚たちは、それ以上抵抗できなくなるに決まっています。その密約について、それまでなにも知らされていなかったとしたら、なおのことでしょう。
法的にも現実問題としても、効力はもちろんある。首相本人が「破って捨てれば、それでいい」というような話では、まったくないのです。
実際、日本の交渉担当者が過去の密約について理解していないと判断した場合、アメリカ側は国務長官〔=日本でいう外務大臣〕が東京のアメリカ大使館にあてて、
「日本政府の最高レベルに次のこと〔=過去の密約の内容〕を伝えよ」
という電報を打ち、その後、抗議された日本の大臣があわてて内密に謝罪するといったことが何度も起きているのです。(*3)
春名さんが詳しく解説されているように、アメリカは他国と条約や協定を結ぶにあたって、非常に論理的な戦略のもとに交渉を積み重ねていきます。
そのなかで、さまざまな事情によって条約や協定、付属文書に明記できない内容については、「公開しない」という約束のもとに別の文書をつくり、正式な取り決めとしてそこにサインをする。しかし30年たったら、基本的に公開する。それがアメリカ政府の考える密約なわけです。
「〔岸や佐藤が〕密約は首相個人の責任で交わしたつもりだったのに対し、米側は組織として密約を機関決定し、公表はされないが有効な国家間の取り決めとして、政権が変わっても引き継いでいく。この両国の埋め難い密約観の違いが、時に、日米間の深刻な亀裂となってあらわれることがある」(同前)
*
(*3)『検証・法治国家崩壊 砂川裁判と日米密約交渉』(吉田敏浩+新原昭治・末浪靖司 創元社)
日米の密約についての解説なのですが、とにかく日本の総理大臣のセリフとして、信じられないのはこの部分です❣️🐸🍿
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その佐藤栄作が、兄である岸信介が安保改定のときに結んだ密約について、どういっていたか。なんと、「どうも岸内閣のとき、そういうものが若干あったらしいんだな。よくは知らんけど」
といっていたのです!(1969年10月27日)
「よくは知らんけど」って、こいつらのせいで日本が主権国家として発言したり立ち回ることができなくなったのではないかと⁉️
「1969年9月30日に沖縄への核の持ち込みに関する密約をキッシンジャーから手渡された」という話ですが、コイツは悪魔崇拝主義者のCIA工作員です。



まあ、戦後の日本はCIAの工作活動により日米の密約を押し付けられて、まんまと米国の奴隷状態にされてしまったようですが、実は歴史を遡るとそのずっと前から悪魔崇拝主義者(ディープステート)またはユダヤ人たちによる日本支配は始まっていたのでしょう❣️🐸🍿
このテーマを語るには、紙面がいくらあっても足りないくらいですが、過去に私がまとめた関連記事がありますので、きっと何かの参考になるかと思います。
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