私たちは元プレミアム牛めしを「牛めし」として食べている。そして、その「牛めし」の名称は、またしても「プレミアム牛めし」となってしまうのか
「プレミアム」はどこへ消えたのか
私はある日、ふと気付いた。
松屋のメニューを見ていて違和感があった。
昔あったはずの「プレミアム牛めし」が見当たらない。
なくなったのだろうか。
値下げされたのだろうか。
昔の牛めしに戻ったのだろうか。
違った。
プレミアム牛めしは消えていなかった。
プレミアム牛めしという名前だけが消えていた。
そして今、それは「牛めし」と呼ばれている。

私は一瞬、笑ってしまった。
いや、待て。
それって結構すごいことではないか。
私たちはプレミアム牛めしを食べているのではない。
元プレミアム牛めしを「普通」と呼ぶ世界に生きている。
グリーン席が普通席になる日
想像してみてほしい。
電車に普通席とグリーン席がある。
普通席は安い。
グリーン席は高い。
当然、利用者はその日の財布事情や価値観で選ぶ。
ところが数年後。
鉄道会社がこう発表する。
「サービス向上のため、今後は全席グリーン席になります」
なるほど。
快適にはなった。
だが同時に安い席は消えた。
さらに数年後。
今度はこう言い出す。
「本日よりグリーン席という名称を廃止します」
「今後は普通席と呼びます」
ここで多くの人は混乱する。
いや、それは普通席ではない。
元グリーン席だ。
名前を変えただけだ。
しかし新しく利用し始めた人にとっては違う。
彼らにとっては、それが最初から普通席なのだ。
歴史を知らない人には違和感がない。
歴史を知っている人だけが違和感を抱く。
これが社会で起きていることだ。

人は値上げそのものに怒っているのではない
企業はよく誤解している。
人は値上げが嫌いなのではない。
人は「値上げを値上げと呼ばないこと」が嫌いなのだ。
例えば、
「原材料高騰のため50円値上げします」
と言われれば腹は立つ。
しかし理解はできる。
一方で、
「品質向上しました」
「プレミアム化しました」
「リニューアルしました」
と言われて気付けば価格だけ上がっている。
こちらの方が不思議とモヤモヤする。
なぜか。
それは価格の問題ではない。
誠実さの問題だからだ。
人間は損をすることより、
騙されたと感じることを嫌う。
プレミアム化は現代社会の共通言語
牛丼だけではない。
世の中を見回してほしい。
あらゆる場所で同じことが起きている。
コンビニのおにぎり。
昔は100円程度だった。
今は高級米。
高級海苔。
高級具材。
気付けば200円近い。
コーヒーもそうだ。
昔は缶コーヒーだった。
次にプレミアム缶コーヒーが出た。
さらにスペシャルティコーヒーが出た。
そして気付けば昔の価格帯の商品は目立たなくなった。
スマートフォンもそうだ。
最初は上位モデルだった「Pro」が存在した。
やがて普通モデルの価格が上がる。
そしてさらに上位の「Ultra」が登場する。
すると昨日のProが普通になる。
昨日の贅沢品が今日の標準になる。
そして今日の標準は明日の廉価版になる。
社会はそうやって回っている。
本当に消えたのは価格ではない
ここで重要なのは価格ではない。
価格だけならインフレで説明できる。
問題は別のところにある。
消えているのは選択肢だ。
安い商品があった。
高い商品があった。
好きな方を選べた。
これが市場の自由だ。
しかし安い選択肢が消える。
高い選択肢だけが残る。
そして高い選択肢が「普通」と呼ばれるようになる。
すると人は選んでいるようで選べなくなる。
自由市場に見えて、
実際には自由が少しずつ失われていく。
気付かないほどゆっくりと。
文句を言われないほど自然に。
言葉は現実を書き換える
プレミアム牛めしの話で面白いのは価格ではない。
言葉だ。
人間は数字より言葉に弱い。
「値上げ」
と言われると警戒する。
しかし
「プレミアム」
と言われると納得しやすい。
言葉は魔法だ。
そしてもっと恐ろしいのは、
魔法が長く続くと現実そのものが書き換わることだ。
昨日のプレミアムが今日の普通になる。
昨日の高級品が今日の標準になる。
昨日の違和感が今日の常識になる。
人間は慣れる。
驚くほど簡単に慣れる。
だから企業はプレミアム化を繰り返す。
そして私たちは少しずつ新しい常識を受け入れていく。
心を打たれる珠玉の一文
社会が変わるとき、人は何かを失ったことより、それを失ったことに気付かなくなることの方が怖い。
次のプレミアムは何になるのか
私はたまに想像する。
もし明日、
「新プレミアム牛めし」
が発売されたらどうなるだろう。
きっと売れる。
きっと話題になる。
そして数年後。
その新プレミアム牛めしは名前だけが消える。
残るのは「牛めし」という看板だけだ。
私たちはまた同じことを繰り返す。
昨日のプレミアムを普通と呼びながら。
だから松屋の牛めしの話は、牛丼の話ではない。
現代社会そのものの話だ。
私たちはプレミアム牛めしを食べているのではない。
元プレミアム牛めしを「普通」と呼ぶ世界に生きている。
そして本当に考えるべきなのは、
牛丼の値段ではない。
いつの間にか失われた選択肢と……
(消費者が馬鹿なのか、声をあげないのか
「そんなの特に気にしないよ」と自分をごまかしているのか
はたまた、政治に向き合う姿勢と同じく
「自分一人が声をあげても仕方ない」なのか)
