【東京エッセイ】逡巡の価値:速断と、待つという決意
躊躇うは和語
躊躇は漢語
躊躇うは話し言葉で
躊躇は文語
躊は足と音符の壽(ひさしい)からなり、足を止める意味
躇足と著(あらわす)からなり、足を止めて立ち尽くす意味
二つの文字が組み合わさることで、「ためらう」「行き悩む」という意味が強調され、決断できずにぐずぐずする様子を表しているという
まるで振り子のよう
選択出来ないでうろうろする人のようで、心の中で揺れていると言える
悩みとの微妙な違いは
悩みが漠然とした決断を分散しているのに対し
躊躇うのは右か左か、YESかNOか、二者択一の間で選ぶのに逡巡している様子が垣間見える
どちらも人生の岐路にあることを示唆している
ところで、僕は他者から決断が早いとよく言われる
自覚もある
それはおそらく、躊躇いや逡巡、迷いがあまりないから
その理由は二つあり
一つ目は時間の無駄だから
二つ目は自分で何かを決断したらその結果がどうであれ従容として責任を持って受け入れるから
何ら強制されずに、自ら決断するためには、自らの判断を信じて前に進まなければ、いつまで経っても、そこに立ち尽くすばかりだから
だから、結果的に間違っていても、その間違いを解決すれば自らの糧となり、今後の生きる指針にもなる
と思っている
仮に遠回りになったとしても
最短距離になったとしても
どちらも自分のためになることに相違はない
急がば回れ
という言葉もある
拙速はよろしくないが、考えて決めたのなら、それでいい
と思う
誰の指図も受けずに
自分で決めたことなのだから
それは血となり肉となり
自分を形作っていく
他の誰とも違う
自分だけの自分を
…閑話休題…
恋愛においてはこの限りではない
相手は人間で他人なのだから
その人の判断を待つ姿勢が大切だろう
