読むだけで参拝体験|北八幡神社と南八幡宮を巡る
八王子を歩いていた日のこと。
ふいにぽっかりと時間が空き、せっかくなので周りを散策してみることにしました。
住宅街の先へふらりと足を向けると、
小さな鳥居がひっそりと佇んでいました。
「あ、神社だ。」
そんな偶然の出会いから始まった、北八幡神社への参拝。
今日は、その時のことを書いていきたいと思います。
他にも神社の紹介記事を書いてます。
興味がありましたら、読んでみて欲しいです。
→読むだけで参拝体験|大國魂神社を巡る
◆北八幡神社

京王堀之内駅から歩いて約20分くらいのところにある小さな神社。

結構な角度のある階段を上っていくと、小高い山の上に小さな鳥居が見えてきます。

息が弾むほどの坂道ですが、木々の間からそっと姿を現す鳥居は、不思議と「もう少し頑張ってみよう」と思わせる存在感がありました。

鳥居を抜けると、今度はまた別の階段が現れます。
「こんなに上るんだ」と思わず苦笑いしてしまうほどですが、石段を踏みしめながら上へ進むと、やがて静かに佇む本殿が目の前に現れます。

木々にしっかりと囲まれた場所にあるため、
昼間でも境内はほんのり薄暗く、どこか山中の小さな社を訪れたような、落ち着いた雰囲気が漂っていました。
人の気配も少なく、鳥の声や風の音がよく聞こえる、静かな神域——そんな印象を受ける神社です。
本殿の隣にこの神社の由来を書いた看板がありました。

北八幡神社のご祭神は我が国に新たな文化や産業を興すため百済や呉から織工や養蚕紡績等の技術を導入し、
国力の発展と民生のためご尽力された第十五代應神天皇(誉田別尊(ほんだわけのみこと))である。
北八幡神社の勧請は、天文年間(一五三二~一五五五年)に、木曽義仲の子孫で、小田原北条氏の配下となり、
滝山城を拠点として四方に目配りする大石定久(道俊)の弟、大石信濃守宗虎(晩年「定基」と改名)が源頼朝の
源氏の守護神である鶴ヶ岡八幡宮の御神霊を堀之内村寺沢の宮嶽山に分祀奉斎されたものである。
その後、寺沢の尾先の地(現在地)に奉還し、堀之内村、松木村及び越野村の三村の鎮守として鎮座されたが、
武の神として厄除、開運、家内安全、必勝祈願などの守護神として崇められている。
当時の本社殿は宮造で覆屋三間四方、例祭は八月十五日、棟札に寛永九年と記されている。
一九九四年六月古い様式をとどめながら荘厳で由緒ある神社として本殿を改築したが、毎年行われる例大祭(八月の最終土曜日)
や元旦祭には、多くの参拝者が訪れ賑わいをみせている。
大石宗虎については松木台にある屋敷跡から、櫓など遺構が発掘されており、柚木を中心に近郷の村々を支配し、
宗教文化の向上に努めてきた土豪であったことがうかがわれる。
尚、宗虎(一五七一年六月八日没)の塔の前には、樹齢数百年の百合紅がその威厳を保っている。
祭神:應神天皇(誉田別尊)
例祭:8月15日
要約すると
・鶴岡八幡宮の御神霊を分祀し、應神天皇を祀る神社。
・天文年間に大石宗虎が勧請し、地域三村(堀之内・松木・越野)の守り神となった。
・厄除・開運・必勝のご利益があり、今も例祭で賑わう。
看板を読んでいて一番驚いたのは、
この小さな神社が“鎌倉”と繋がっていたということでした。
まさか、鶴岡八幡宮の御神霊を分祀してできた神社だったとは——。
八王子の静かな丘の上に、こんな歴史の糸が伸びていたなんて思いもしませんでした。
本殿の佇まいにどこか凛とした気配を感じたのも、
そうした由緒ある背景があるからなのかもしれませんね。
◆甘酒地蔵尊(あまざけじぞうそん)

本殿を降りて右側。
入口からは左側に小さな社が見えました。そちらに行ってみると。

こんな石像が。
隣には説明が書かれた看板があります。

八王子は平安時代から桑の都といわれたように、
養蚕が盛んに行われていました。
農家にとっては唯一の現金収入で、
生産された生糸は八王子宿に集められ
文明開化の横浜に運ばれていきました。
このことから、北八幡神社に通ずる街道を行き来する人たちも多く、
茶屋の主人が甘酒を売り出しました。
しかし、お客は一向に寄りつきません。
店主が悩んでいたところ、
ある日夢の中で「神社を崇拝しなさい」という神様のお告げがありました。
はっと気がついた店主は、その日から毎日欠かさず神社に参拝したところ、日増しに客がくるようになり、商売は大繁盛しました。
また、この甘酒を飲むと悪い病気にかからないとも言われ、
これも北八幡神社のご信仰の賜物であるとの思いから
此度に甘酒地蔵尊を建立したと伝えられています。
今では、初詣の参拝者に甘酒が振舞われています。
これを少し物語風に考えるとわかりやすいかもしれませんね。
『むかし、八王子のあたりは「桑の都」と呼ばれ、
養蚕でにぎわった土地でござった。
農家が育てた生糸は、八王子宿へと集められ、
文明開化まっただ中の横浜へと運ばれていったそうな。
その街道沿いに、一軒の茶屋がありました。
主人は甘酒を売り出したものの、なぜか客はさっぱり寄りつかぬ。
日ごとにため息ばかりが増えていく、そんな折でございます。
ある晩、主人は夢を見る。
そこへ現れた神さまが、静かにこう告げられた。
――「神社を崇めなさい」。
目を覚ました主人は、その言葉を胸に、
北八幡神社へ毎日かかさず参拝するようになりました。
すると不思議なことに、日に日に客が増え、店は大繁盛。
甘酒は“飲めば病を遠ざける”とも語られるようになったとか。
そのご加護への感謝から、この地に甘酒地蔵尊が祀られた――
今に伝わる、そんなお話でございます。
今では、初詣には参拝者へ甘酒がふるまわれ、
昔日のご縁が静かに息づいております。』
こうするとわかりやすいのでは?
甘酒地蔵尊の由来を読んでみると、
甘酒が商売を繁盛させただけでなく、
“飲むと病を遠ざける”と言い伝えられてきたことにも驚きました。
商売運だけでなく、健康運にもご利益があるのですね。
もし初詣に訪れる機会があれば、
その年の無事と健康を祈って、ふるまわれる甘酒をいただいてみるのも良いかもしれません。
小さな社から、静かに多くの人の暮らしを支えてきた——
そんな温かい歴史が感じられる場所でした。
◆南八幡宮(みなみはちまんぐう)

北八幡神社を後にして通りを少し歩くと、
もう一つの“八幡さま”が静かに佇んでいます。
その名も、南八幡宮。
北の丘の上にある北八幡神社に対し、
こちらは住宅街の中にひっそりと寄り添うように建てられていて、
まるで地域を挟んで“南北一対”の守り神のような存在です。
南八幡宮は寛永6年(1629)に創建され、
北八幡神社に対して「南八幡宮」と名づけられたと伝わります。
規模は小さくとも、地域の暮らしを見守ってきた落ち着いた雰囲気があり、
北八幡神社の凛とした山の空気とはまた異なる、
生活に溶け込んだ温かさを感じさせてくれる神社でした。
北と南。
ふたつの八幡さまにお参りすると、
この地を守ってきた信仰の流れが、静かに繋がっているのを感じます。
南八幡宮は、北八幡神社とはまったく違った趣をもっています。
北が小高い丘の木々の中に鎮座しているのに対し、
この南八幡宮は、本当に住宅街の中にひっそりと佇む小さな神社です。
社殿の周りは森でも林でもなく、
駐車場や家々が近くまで迫っていて、
まるで日常の暮らしのすぐ隣に、そっと寄り添うように建っている――
そんな雰囲気があります。
派手さはないけれど、
生活の音や気配の中で静かに地域を見守ってきた、
“町の小さな八幡さま”といった温かさが感じられました。

南八幡宮の境内は、とても素朴で静かな佇まいです。
鳥居を抜けると、まず手洗い場があり、右に曲がって本殿があります。

その横に社務所が建っています。

境内全体は「社務所・手洗い場・本殿」という
本当にシンプルな造りになっています。
飾り立てたものはほとんどなく、
必要なものだけが整然と並んでいる様子は、
昔から地域に寄り添ってきた小さな神社らしい、
素朴で落ち着いた雰囲気を感じさせてくれました。
残念ながらこの神社を説明しているものがなかったのでこれ以上の情報は得られませんでした。
◆まとめ
北八幡神社と南八幡宮。
同じ“八幡さま”でありながら、
ひとつは木々に守られた山の神社、
もうひとつは住宅街に寄り添う町の小さな社と、
まったく違った表情を見せてくれました。
北八幡神社では、鎌倉との意外な繋がりを知り、
歴史の深さに驚かされました。
また、甘酒地蔵尊の伝承には、
商売繁盛だけでなく健康運まで見守ってきた、
神社と人との温かな関わりが感じられます。
そして南八幡宮では、
飾り気のないシンプルな境内と、
生活のすぐそばに佇む静かな気配が印象的でした。
北と南、ふたつの八幡さまを続けてお参りすると、
この土地を長く見守ってきた信仰の流れを
そっと感じることができます。
近くを訪れた際には、
ぜひ両社を合わせて歩いてみてください。
それぞれに違った心地よさと、
小さな発見が待っていると思います。
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