第70話 就任
王宮の扉は重くなかった。
重いのは、扉の前で待つ沈黙だった。
呼び出しは簡潔だった。
王立図書館人事に関する協議
協議、と書かれていた。
決定ではない。
つまり、ここで拒否できる余地がある。
老司書は出発前にだけ言った。
「役職は命令を増やさない。
拒否の責任を増やす」
意味は歩くほど重くなった。
一 会議
広間ではなく、小部屋だった。
王もいない。
代わりに三者がいる。
王権代表
行政代表
教会代表
そして空席が一つ。
机の形は円だった。
誰も中央に座らない形。
王権の使者が口を開く。
「焚書停止の件、確認した」
行政官が続く。
「禁書調整の判断も読んだ」
審問官も頷く。
「暫定注記、適切であった」
沈黙。
その沈黙は尋問ではない。
評価でもない。
役割の確認だった。
二 図書館とは何か
行政官が問う。
「図書館は何をしている」
「記録を保管しています」
首が三つ、同時に横へ動く。
「それは結果だ」
少し考える。
「判断を急がせない仕事です」
審問官が微かに笑う。
王権の使者が続ける。
「では国家にとっての意味は」
ここで初めて答えを選ぶ必要があった。
「国家が誤る速度を遅くします」
誰も否定しない。
三 任命
書状が差し出される。
王立図書館司書に任ず
補助が消えている。
アイリスは確認する。
「なぜ私ですか」
王権の使者が答える。
「誰の道具にもならなかったからだ」
行政官が続ける。
「誰の敵にもならなかった」
審問官が言う。
「誰の結論も奪わなかった」
短い沈黙の後。
「ゆえに、結論の前に置く」
それが司書の定義だった。
四 拒否権
老司書の言葉を思い出す。
拒否の責任。
「受ける条件があります」
三者の視線が集まる。
「命令権を持たないこと」
行政官が眉を上げる。
「弱くなるぞ」
「必要ありません」
「なぜだ」
「図書館は決定しないからです」
審問官が頷く。
「では何をする」
「決定が孤立しないようにします」
王権の使者が静かに言う。
「承認する」

五 就任
署名は一行だった。
それで身分が変わるわけではない。
だが、位置が変わった。
廊下に出たとき、城の音が違って聞こえた。
命令、足音、報告。
それらがすべて
未決のまま通過していく場所が一つだけあると知ったからだ。
老司書が待っていた。
「戻ったか」
「はい」
書状を見せる。
老司書は一度だけ深く頷く。
「今日からお前は、本を扱うな」
「はい?」
「社会を扱え」
夕方、名簿に新しい線が引かれる。
補助司書の線の上に、もう一本。
境界ではない。
交点だった。
その夜、初めて“政治”に関する照会が届く。
労働争議の記録を求む
図書館はついに、国家運用に触れ始める。
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