法は守ってくれるのか?INTJの俺が考える
ども、オクトです。
どんなに時代が進んでも、
どんなに文明が発達しても、
ニュースを見れば毎日のように嫌な事件が流れてくる。
性犯罪、暴力、汚職、組織犯罪。
人が人を傷つける話は、なぜか無くならない。
今回は【法と権利について】考えてみよう。
日本国憲法には、こんな条文がある。
第13条
すべて国民は、個人として尊重される。
生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、
公共の福祉に反しない限り、
立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
第25条(生存権)
すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。
日本という国は、
少なくとも「生きる権利」を保障していることになっている。
では、ここで一つ問いを投げたい。
もし自分が被害にあったとき、
法は本当に守ってくれるのだろうか?
俺はこう思っている。
法は「盾」ではない。
法はあくまで抑止力であり、
社会というルールを成立させるための箱に過ぎない。
どういうことか。
法は基本的に、
何かが起こった【後】に適用される。
誰かに殴られたら、
殴られた後で警察に届け出て、
事件として立証され、
そのうえで裁かれる。
「それをすると罰せられるからやめておけ」
という予防的な機能なんだ
警察や裁判所が動くのは、常に「事件の後」だ
刃物が振り下ろされるその瞬間、法が物理的なバリアで守ってくれるわけじゃない
現実には、悲惨な事件はいつだって起きている。
複数人に拉致され、暴行を受ける。
命を奪われ、どこかに隠される。
後から事件として立件できれば、
犯人は裁かれるかもしれない
だが証拠がなければ、
事件性すら問えないこともある
どんなに凄惨な被害があっても
証拠がなければ法は沈黙する
この「法的な正義」と「事実の痛み」の乖離が現実だ
すべての犯罪で犯人が捕まっているわけじゃない。
正直なところ、法には限界がある。
2023年(令和5年)の 刑法犯の検挙率は約 38.3% とのデータがある
※これは認知された刑法犯(窃盗・暴行・傷害など一般的な犯罪)のうち、警察が検挙に至った割合です。 殺人などの重犯罪は9割と検挙率が高い
そして、たとえ犯人が裁かれたとしても、
被害者が失ったものは戻ってこない
よく言われる例えがある。
白いきれいな紙をぐちゃぐちゃに丸めて、
それを元に戻そうとしても、
元のきれいな紙には戻らないという話
起こった出来事は、無かったことにはできない
被害にあった人が、
泣き寝入りになるケースも少なくない
だからこそ、
俺は「自己責任」という言葉が好きじゃない
「そんな場所に行くから悪い」
「そんな行動をするから当たり前」
事件のあとで、
簡単に自己責任論を振りかざすのは違うと思う
「法的な正義」と「事実の痛み」の間には、埋められない溝がある
犯人が捕まっても、傷ついた体や心、失われた時間は1秒たりとも戻ってこない
悪いのは、100%加害者だ
必要なのは
自己責任ではなく、自己防衛だ。
法には限界がある
犯罪者の刑が軽いからダメなんだ!
もっと重い罰を!って話もでるけど
それも違うんだ
例えば、性犯罪をすべて死刑にすると、「どうせ死刑なら、証拠隠滅のために被害者を殺してしまおう」という逆の発想を招きかねない
厳罰化がかえって被害者の命を危険にさらすんだ
※感情としては厳罰を望んでいるが、法制度として「被害者の命を救うための生存戦略』として、あえて差をつけている側面があるということだ
法が万能じゃない以上、
自分の身は自分で守る意識が必要になる
◆リスクが高いと分かっている行動は避ける
◆危険な場所や状況から距離を取る
◆「大丈夫だろう」という正常性バイアスを疑う
これは臆病になるわけじゃなくて
現実を直視するってこと
例えば俺は2年前に仕事で1人でインドに行ってきた
きっかけはFacebookでメッセージをもらったことだ
その人とは違う国で会ったことがあり、一応面識があったのだが、べつに仲良しなわけでは無かった
◆この話は本当なのか?
◆ちゃんと報酬は払ってもらえるのか?
◆どこまで向こうが準備してくれるの?
このやりとりがめちゃくちゃ大変だったのだが、相手の社会的信用や会社の存在の裏付け、そして契約書などのとりきめ
報酬の確認と支払い方法、飛行機の手配や働くためのVISA取得など
結果的にまともな会社でちゃんと報酬も現地でドルで30%もらい、事後に日本の銀行振込で70%もらった
だけどこの人にもし悪意があれば
俺には抵抗する術はなかった
もし、俺がインドで買い物してる時
悪意ある奴が金目当てに俺を連れ去って
金だけ奪ってその辺に放っておかれたらどうなるか?
俺と連絡つかなければインドの仕事関係者や俺の日本の家族が心配して動いてくれるかもしれないが
事件性を感じてくれるのは2週間くらい経ってからではないか?
生きていられるかも怪しい
全部事後でしか動いてくれないんよ
危険があるその場では守ってくれる人はいない。
頼れるのは自分だけだ
法を信じすぎないことが大事
でも、法を否定するわけでもない
法は社会を維持するための最低限の装置だ
でも、あなたの人生を常に守ってくれる存在ではない
だから俺は、
「守られている前提」ではなく
「守れない場面もある前提」で生きる
それが、この世界を生き延びるための、
一番現実的な態度だと思っている
今この瞬間にも、世界のどこかで事件に巻き込まれている人がいると思うと辛くなる。中国人インフルエンサーやイスラエル人のテロ人質とか海外だけの話じゃ無い
日本は安全な国?
いや、日本だって充分危険だ
この世界は本来、理不尽で、不公平で、ランダムだ。
善人が被害に遭い、
何も悪いことをしていない人が、突然人生を壊される現実がある
「ルールを守っていれば大丈夫」
「悪いことをした人は必ず裁かれる」
「日本は法治国家だから安全だ」
という物語を信じていないと安心して暮らせない
確率論的に危険に近い行為や場所があるのも事実
だからなるべく避けて
ちゃんと思考して
危険に遭う確率を減らして生きるんだ
法を信じすぎず否定もせず
自己防衛しながら共に歩もう
