ラリー・ペイジ――誰も本気にしていなかった「AI」に650億円を賭けた決断
目次
検索の帝国が、無名の22人の会社を買った日
DeepMindとは何者だったのか
Facebook、そしてイーロン・マスクとの静かな攻防
「倫理委員会をつくること」という異例の買収条件
10年後に証明された賭けの中身
現代の経営者への教訓
この記事の結論
ラリー・ペイジは、まだ世間がAIを本気にしていなかった2014年、検索広告という本業の外側にある「まだ儲かっていない技術」に650億円を投じ、その決断が10年後のGoogleのAI覇権の土台になった。
検索の帝国が、無名の22人の会社を買った日
2014年1月26日、Googleはロンドン発のAIスタートアップ、DeepMindの買収 を発表した。当時DeepMindの社員はわずか22人。売上と呼べるものはほとんどなく、世間的な知名度もゼロに近かった。それでもGoogleは、報道によれば4億ポンド(当時のレートで約650億円) という、当時のGoogleによる欧州企業買収としては破格の金額を支払った(TechCrunch)。
検索連動広告というすでに完成された巨大な収益源を持つ企業が、なぜ収益のめどすら立っていない研究チームにここまでの金額を賭けたのか。この決断を主導したのは、当時CEOだった共同創業者ラリー・ペイジ本人だったと報じられている。
DeepMindとは何者だったのか
DeepMindは2010年、デミス・ハサビス、シェーン・レッグ、ムスタファ・スレイマン の3人によってロンドンで設立された。神経科学とAIを組み合わせた研究アプローチを取り、2013年に発表した論文で世界の注目を集める。それは、深層強化学習 というアルゴリズムに、ブロック崩しやポンといった単純なアタリのビデオゲームを自己学習だけでプレイさせ、人間の熟練者を上回るスコア を叩き出させたというものだった(Wikipedia: DeepMind)。
現在の基準で見れば地味な成果に映るかもしれない。しかし「ルールを教えられていないゲームを、試行錯誤だけで人間以上にこなすAI」は、当時のAI研究の常識を塗り替えるインパクトを持っていた。この論文こそが、Googleの買収につながったとされている。
Facebook、そしてイーロン・マスクとの静かな攻防
DeepMindを狙っていたのはGoogleだけではなかった。Facebookは2013年にDeepMindと交渉していたが、その話は成立せずに終わっている(Wikipedia: DeepMind)。もしFacebookとの交渉がまとまっていれば、今日のAI競争の勢力図はまったく違うものになっていたかもしれない。
もう一人、この物語には重要な人物が絡んでいる。イーロン・マスク である。マスクはGoogleによる買収以前からDeepMindに個人として早期投資をしていた。ただしその目的はリターンではなく、AIの進歩を間近で監視し続けるため だったと報じられている(TechCrunch)。マスクは当時からAIを「人類存亡に関わるリスク」と捉えており、DeepMindの技術がGoogleという一企業に集中することを警戒していたという見方がある。結果的にハサビスはマスクの側ではなくGoogleへの売却を選んだ(Yahoo Finance)。この時のマスクの危機感は、翌2015年に彼がOpenAIの共同設立 に動く伏線になったとも指摘されている。
「倫理委員会をつくること」という異例の買収条件
この買収でもう一つ特筆すべきは、買収条件の設計 である。DeepMindの創業者たちは、Googleに買われる条件として「AI倫理委員会を設置すること」を要求したと報じられている(検索結果より、Googleが650億円規模の買収の一環としてこの委員会設置に合意)。ハサビス、レッグ、スレイマンの3人全員がこの委員会に名を連ねているとされるが、委員会に他に誰が参加し、具体的に何を議論しているのかは、10年以上経った今も公表されていない。
この不透明さは批判の対象にもなっている。2019年にはGoogleが別途「AI諮問委員会」を発足させたものの数日で解散に追い込まれる騒動があり、その際にも「買収時に約束された謎の倫理委員会は今も謎のままだ」と指摘された(Forbes)。ペイジの決断は、優秀な研究者集団を招き入れるために「監視の仕組みを作る」という約束までしたが、その約束が実際に機能していたかは検証不能なまま残っている。
10年後に証明された賭けの中身
2014年当時、AIは投資家からも一般消費者からも「まだ実用性の乏しい研究テーマ」と見られていた。検索広告という圧倒的な収益源を持つGoogleにとって、DeepMindへの650億円は本業と無関係などう見ても「大きすぎる余興」に見えたはずだ。
しかし、この決断は後年になって正しさを証明していく。買収後のDeepMindは、2016年に囲碁AI「AlphaGo」で世界トップ棋士イ・セドルを破り、世界にAIの実力を知らしめた。そして2023年、DeepMindはGoogle社内のAI研究部門Google Brainと統合され、「Google DeepMind」 として再編される(Wikipedia: DeepMind)。生成AIをめぐる競争が激化する中で、ペイジが10年前に取った「早すぎる賭け」が、Googleが土台から出遅れずに済んだ理由の一つになっている。
現代の経営者への教訓
ラリー・ペイジの決断が現代の経営者に示すのは、「儲かっていない技術」を、儲かる前に見極めて賭ける胆力 の重要性である。DeepMindは買収時点で目立った収益がなく、世間の評価も定まっていなかった。それでもペイジは、目先の収益性ではなく「この技術は本業の未来を変えうるか」という一点で意思決定した。
同時にこの事例は、大胆な賭けほど約束の設計 が問われることも教えている。優秀な人材・技術を獲得するために結んだ「倫理委員会」という約束は、実行の透明性が伴わなければ後年になって信頼を揺るがす火種になり得る。大きな決断は、実行した瞬間ではなく、何年も経ってから「その約束は守られていたか」という形で評価され直す。目先で成果が見えない投資にこそ本気で賭け、同時にその賭けに伴う約束は誠実に果たし続ける。この両方があって初めて、10年後に「先見の明があった」と呼ばれる決断になる。
