月にかえった犬
新月。
お月様が隠れ、見えなくなってしまう日だ。
朝、市場での買い物から戻ると仕事に出かける支度をしていた長男が不思議なことを言い出した。
家で飼っている2匹の犬、ルビーとメグが家の窓から外に向かってクーンクーンと鳴いていて、何かと思って外を見たら白っぽい犬が通り過ぎた、と。
外の門は閉まっていて塀も高く、他の犬が入ってくることはあり得ない。
それ猫だったんじゃない?と聞くと、あんなに大きい猫はいない、と言う。
そのときふと私は3か月前に死んだルナが帰ってきたのだと思った。
★
ルナは息子たちがまだ高校生の時、道路脇でケージに入れられて売られていた。
5匹ほどいたキンタマーニ犬の子犬の中で一番目が大きくクリクリとした女の子。白にほんの少し茶色が混じった毛がふわふわでぬいぐるみのような子犬を私たちは家に連れて帰った。
子犬に私たちは「ルナ」と名付けた。
ルナというのは当時インドネシアで人気があったハーフのタレント、ルナ・マヤから頂いた。ルナは本当に可愛くて我が家のアイドルとなった。
成犬になったルナは他のキンタマーニ犬と比べても毛並みが良く断トツに美しかった。キンタマーニ犬の用心深い性格から優秀な番犬でもあった。気が強く気に入らないことがあると飼い主にも不満を露わにするが、逆に甘え上手なところもあった。
普段クールなくせに雷が鳴ると震えあがり、不安げな顔をして人の後をついて回った。そのギャップが可愛かった。
家から脱走中のアバンチュールの末、生涯で二度の出産を経験した。やはり出産は体力を消耗するようで二度目の出産の後は体調を崩しがちになった。歳をとるにつれて美しかった被毛は茶色みが濃くなりやや艶を失って、10歳を過ぎた頃には老犬の域に入ったのが見た目にもわかった。
寝床をドアの前のテラスに決め、時々門の下から外を覗き込み、不審なものがあると力強い声で吠えた。一日のほとんどを寝て過ごすようになっても番犬としての任務は欠かさなかった。
そんな彼女もある日を境に食欲がなくなり、だんだんと食べ物を受け付けなくなった。食欲がない時の処方箋、好物のグレ・カンビン(山羊肉のスープ)を与えてみると多少食べるのだが、少しすると吐いてしまう。
ドクターを呼んでも「十分長生きした。もう年だから仕方がない」と言われ、ビタミン注射と吐き気止めのピルなどを処方してくれただけだった。入院のできる動物病院へ連れて行こうとも思ったが、かえってストレスになって可哀想だと思い家で看ることにした。
最後の日、ぐったりとして起き上がることができなくなり仕舞には水さえも飲めなくなった。奇跡が起こることを願ったが、力なく開いた目は「もうそろそろお別れだよ」と言っているような気がした。
その日の午後、11年間私たちの家族として過ごしてきたルナは静かに息を引き取った。
満月の日だった。
次の日、夫と次男がルナの亡骸を埋めに行った。家から少し離れた、道路を渡った先にある空き地に。私はチャナンと呼ばれるヤシの葉で作った供え物に天国までの道中困らないようにご飯とお肉と千ルピア札を添えて夫に渡し、家から見送った。ルナはチャナンと共にバナナの木の根元に埋められた。
ルナがいなくなって、胸にぽっかり穴が開いたような感覚がしばらく続いたが、残された二匹の子が気を紛らわせてくれた。
二匹のうちの片方はルナが二度目の出産で産んだ娘メグ。母親がいなくなっても何も変わった様子はなく、きっと既にお別れは済ましていたんだろうと思った。
そして私は、Luna=月の女神という名前に相応しく、満月の日を選んで旅立った彼女は故郷の月に帰ったのだと信じることにした。
★
長男が仕事に出かけた後、お家の犬たちに聞いてみた。
「さっきルナちゃん来てたの?」
「そうなの。今日はお月様がお休みだから遊びにきたんだって」






手前からルビー、メグ、ルナ。
仲良く甲羅干し。3匹でお別れしていたのかな。
★
最後に。
この話は3年前に書いたものを加筆、修正したものです。
「ペットの犬や猫は自分が死ぬ時に飼い主の体や心の悪いところをひとつ天国へ持って行ってくれる」というのを昔何かで読んだことがあって、私はそれをずっと信じています。
ルナが旅立ってしばらくした頃、私はそれまでの自己否定を手放し自分を愛していこうと決めました。ちょうどこの話を別のブログで書いていた頃です。今思うとルナは私の病んでいた心を天国(月?)に持っていってくれたのだと思います。
時々、ルナが埋められた今は塀がめぐらされて入れなくなっている空き地の横をバイクで通り過ぎることがあります。その時はいつも「ルナちゃん元気~?」と心の中で聞いています。すると「元気だよー!」ってどこからともなく聞こえてくるような気がするのです。
今日は新月の日(バリ暦では昨日でしたが)、昼間メグとルビーが仲良く甲羅干しをしながら何か話しているように見えました。
もしかしたらまたルナが遊びに来ていたのかな。

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